無気力ニートがセブに島流しされた!?
大学中退後、都内で2年ほどニートをしていたぶららさん。そんな彼を見かねた大学の先輩たちは、ある日「お前、どうせニートするならセブ島に行って面白いことしてこいよ」と言い放つ。ぶららさんと先輩たちは、大学の落語研究会で同じ釜の飯を食った仲。当時は面白い暮らしを目指すことから『大喜利ハウス』と名付けられたシェアハウスで、同居をしていた。
「セブの物価は日本の3分の1以下、治安もそこそこなので、面白半分で提案されたんですけど……本当は海外に行くなんて嫌でした。でも考えたり拒否したりするのも面倒だなと思っていたら、あっと言う間に事が進んでしまったんです」とぶららさんは当時を振り返る。
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<取材・文/日刊SPA!編集部>
かくしてひとりの無気力ニートのために、先輩たちは「なんだか笑えそう」という理由だけで、生活費月額3万円を振り込むことを約束。航空券の手配から家の契約まで、ネットで完了させた。流されるまま彼は、‘11年12月に機上の人となり、セブ島の土を踏む。そこで新たな人生がスタートすると思いきや、早々に“アウェイの洗礼”を受けることになる。
「着いて2日目に、日本語ができるおばあちゃんに話しかけられたんです。最初は日本で働いている子どもからきた手紙を読んでくれって言っていたのですが、大きなお屋敷でご飯を呼ばれ、最終的にはイカサマを教えるからカードをやろうと誘われました。それがまあ、案の定、詐欺でして……」
不幸中の幸いは、所持金が3万円しかなく被害が小さかったこと。しかし「フィリピン生活48時間目で、詐欺にあって有り金をすべて失くしました」とスカイプで訴えても、先輩たちの返事は「ウソをつけ」と冷たく即答。生活費の追加がなかなか振り込まれなかったため、いきなりのピンチを迎えた。
「以来、引きこもり体質が加速して、ずっとネット漬けの生活をしていました。セブ島にいるのに日に焼けず、色白でしたよ」
それでも環境に慣れるにつれ、近所の現地人とは顔見知りになり、片言英語で多少の交流を始める。
「昼頃に起きてネットをし、夕方、通りすがりのバイクに10ペソ(約20円)を払って屋台に行って、70ペソ(約140円)くらいのご飯を食べ、また家でネットをするのが典型的な1日でした。辛かったのは、ネットの速度が遅いこと。ニートには致命的でしょ(笑)。ユーチューブは画質を落としても、動きが悪かったなあ」
リゾート地なのにマリンスポーツをやるでもなく、ナンパなどもってのほか。一度、先輩が様子を見がてら遊びに来たときに、海で日本人女子大生グループと話す機会があったが、一瞬で別の日本人男性グループに“お持ち帰り”されてしまった。
「あっちで会う日本人って、短期滞在ならば思い切り楽しみに来ているし、中長期の人ならば英語を学びたいと思っていたり、ビジネスを起こしたいと思っていたり。シッカリしていて感心しました。すでにビジネスを始めている人にも何人か会う機会があって、たまになぜかご飯をおごってもらいました。でも日本を見切った調子で『日本ってつまらないよね』とやたら言われたんですが、それはピンとこなかったなあ」
現地に溶け込むでもなく、日本人同士で積極的につるむでもなく、付き合いはすべて受け身で、基本的には淡々とニートな日々を送っていたぶらら氏。結局8か月後、先輩たちに「お前は面白いこと何もしないから帰ってこい」と言われ帰国を決定される。当然ここにも本人の能動的な意思はなかった。
「思えば女もクスリもギャンブルもない、クリーンな海外ニート生活でした。先輩たちには、『1週間に一度は連絡をして来い』『面白いボケを発信しろ』などと約束させられていたのですが、ぜんぜん守らなかったなあ」
現在のぶらら氏だが、北関東の実家でニート生活を続けている。
「実家とセブ島がどちらがいいといえば、まあ僅差で実家ですかね。ご飯がタダで出てきますから」
ひょうひょうと語る彼だが、それでも一応は“海外に住む”というそれなりにハードルの高いことを経験したのだから、何かしら得たことがあったのかと訊ねてみると――
「うーん、得たものと言っても、飲み屋で話すネタが一つ増えたってだけかな。元から海外に行こうという希望も、日本が嫌という不満もなかったから、まあこんな感じです」
重ねてセブと日本の違いを聞いても、少し考えるそぶりを見せた末、「セブは暑いけど、日本は寒い」と一言。南海リゾートvs無気力ニートの一騎打ち、軍配は無気力ニートに上がったようだ。
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