女性衆議院議員数は70年前から変わっていない【日本に女性首相が誕生しない理由】vol.3
第2次安倍改造内閣が肝煎りで推し進めていた「女性活躍推進法案」も、突如、永田町で巻き起こった“解散風”に吹き飛ばされそうな気配である……。
そもそも、政権の目玉だった小渕優子元経産相&松島みどり元法相のW辞任がミソの付き始めだったが、これで、「女性の輝く社会」実現がさらに遠のくのは必至。
特に、血筋、地盤ともに申し分なく、「日本初の女性総理」候補と目されていた小渕氏に至っては、すでに東京地検特捜部の強制捜査も入っていることもあり、次期総選挙出馬も覚束ない有様だ。これで、たびたび湧き上がる“女性宰相待望論”も鳴りを潜めてしまうのか?
そこで、女性議員の政策秘書、選挙対策を行った経験のある、国会議員政策担当秘書の松井雅博氏が「日本に女性首相が誕生しない理由」について寄稿した。
⇒【vol.2】はコチラ
◆女性が参政権を獲得したのは戦後! 70年前から変わらない女性衆議院議員数
vol.2で記載したとおり、女性議員が少ないだけでなく、出産休暇中の給与のあり方などがあまり考えられてない辺り、いかに女性の政治参加について真剣に考えていないか、を表しているように思える。
その背景には、そもそも女性の参政権が日本人自身の手によって得られたものではない、ということが一つの原因かもしれない。
筆者は社会人向けの政治講座を主催しているが、「女性が参政権を獲得したのはいつ?」と尋ねて、意外と答えられない人が多いことに驚く。実は、戦後、マッカーサーの五大改革の一つとして「婦人解放」が実現された。
1946年の衆院選挙で初めて女性衆議院議員が誕生した。この時、当選した女性衆議院議員の数は39人。なんと、今とまったく同じ数字である。
永田町に蔓延る都市伝説の一つに「女性は選挙に強い」というものがある。筆者も女性候補者の選対本部長を任されたことがあるが、政治関係やマスコミ関係の方々は口をそろえて「女性だから有利だよね」とよく声をかけてきた。しかし、結果は、政党支持率とほぼ同じ得票率で落選しており、候補者個人の資質などが投票行動に影響したようには見えなかった。
たとえば、2012年12月に行われた衆議院議員選挙における男女間の当選率(男女別に当選した議員数を候補者数で割ったもの)を比較すると、男性の方が当選率は2倍以上高く、数字からは女性の選挙の強さは見て取れないのが現実だ。
男女別の投票率はほぼ同じなので、女性の有権者が女性候補者を必ずしも支持しているわけではないことがわかる。実際、筆者が女性国会議員の主催するパーティに参加した際も、参加者のほとんどは男性であり、女性の支持者が多いということは無かった。有権者にとっては、「女性だから」という性別を理由に候補者を選ぶことはあまりなく、政党などの要素の方が投票行動に強く影響しているということだろう。
世界に目を向ければ、アメリカ合衆国ではヒラリー・クリントンのように女性が次期大統領候補として名が挙がることもあるし、ケネディ駐日大使など、要職に女性が起用されている例も目立つ。イギリスのサッチャー元首相、ドイツのメルケル首相、オーストラリアのギラード首相、韓国のパク・クネ大統領など、女性の政治リーダーが誕生している国も多い。それに比べれば、70年近い年月が経っているにも関わらず、なんら女性議員数に変化がないのは、日本人がいかに女性のリーダーシップを育ててこなかったことを表しているのではないか。
⇒【vol.4】「女性首相はいつ生まれる? 女性の永田町進出が進まない理由」に続く
<構成/日刊SPA!編集部>
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