トークイベントブームの元祖「ロフトプラスワン」20年の歴史の重み
混沌とした歓楽街のシンボルであった新宿コマ劇場跡地に真新しいシネコンがオープンした途端、雑多な人々の流れがドラスティックに変化してしまったかのような新宿歌舞伎町。
今年初の熱帯夜が明けた7月14日の夜、歌舞伎町の地下で何とも奇妙なトークライブが開催されていた。
そのタイトルは『学会VHS祭り「そうか!そうだったのか!創価映像SGI大作戦」in帰ってきたニポロック』。
かつて様々な資料を集めているうちに、創価学会に入信しようと思い関連施設に出向いたところ、紹介者がいなければダメだと断られてしまった創価学会ウォッチャーのニポポと、カルト問題の第一人者であるフリーライターの藤倉善郎がリアルな体験談を暴露するトークライブは、客席から歓声が飛び交うほど盛況となった。
カルト問題の取材を続ける中で幸福の科学から訴訟を起こされた藤倉は、自身の守護霊が下ろされたと噂される貴重な映像をスクリーン上映。しかし、藤倉本人とはかけ離れたガラの悪そうな守護霊が話す姿に会場は爆笑の渦に包まれていった……。
こんな危ないネタを扱いながらも、誰もが好奇心を掻き立てられずにはいられないイベントを売りにしているハコとは? そう、この7月6日でついにオープン20周年を迎えた世界初のトークライブハウス「ロフトプラスワン」なのだ。
そんな節目を記念して急遽、「ロフトプラスワン大感謝&大生誕祭」が開催された。ステージでは相変わらずエネルギッシュな席亭の平野悠だったが、客席に降りた途端に自らのTwitterへと寄稿した。
「ロフトプラスワン20周年記念イベントに来ている。今や飛ぶ鳥を落とす勢いのプラスワン。色んな人がお祝いに来てくれている。この空間もどんどん私から離れて独自なサブカル路線のリーダーになりつつある。チョットさみしくもあり嬉しくもある」と呟きつつ、ロフトプラスワンを題材とするノンフィクション書籍を9月中旬に発表するルポライター・昼間たかしのステージ写真を添えて投稿。
客席では様々な関係者と挨拶を交わす度に、「もう、俺の役割は終わったんだよ」と話す姿が印象的だった。
◆受け継がれる「ロフト」スピリット
この日は歴代のプロデューサーが20年分のオフレコ話を披露、常連客で賑わう客席は大いに盛り上がる展開となった。
様々な挑戦の果てに成功したトークライブハウスは時代の勢いに乗り、平野の発案によって新宿区百人町に「Naked Loft」杉並区阿佐ヶ谷に「Asagaya / Loft A」そして大阪のミナミには「ロフトプラスワンウエスト」が続々と誕生、それらすべてが人気店に。
ちなみに、「東京カルチャーカルチャー」、「高円寺パンディット」という居酒屋スタイルのトークライブハウスも、ロフトプラスワン出身のプロデューサーたちが手掛けている。
イベント中盤、20年に渡ってロフトプラスワンへの出演を果たした一水会顧問・鈴木邦男がふらりと来店してステージへ。
「この先、ロフトプラスワンが大阪に続いて全国各地に出店したとしても、今まで通りどこへでも行くし、誰とだって議論しますよ」
この前向きな発言を聴いた誰もが20周年をリアルに実感したのである。
現在もロフト系列でイベントをプロデュースする、ロフト映像部門出身の増田俊樹に話を聞いた。
「10年ほど前に独立しましたが、当時の仕事仲間はみんな出世したり店を構えたりしてやたらと元気ですね。仲のよかったバイト店員たちが、系列店のオープン時に店長へと昇格していったのも忘れられません。但し、オープン当初から店を支えてくれた常連客の顔ぶれが、この20年で見事に変わってしまって複雑な気持ちです……」
「連帯を求めて孤立を恐れず」という平野のスローガンは20年の月日を経て数多の出演者と常連客の強い繋がりを育んできたが、安全保障関連法案可決に揺れ動く心情の若者たちにこそ、このタブーなき言論空間を知ってもらえたらと願わずにはいられない。 <取材・文/日刊SPA!取材班>
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ