カネで読み解くビジネスマンのための歴史講座「第6講・ジェシー・リバモアとジョゼフ・ケネディ」
空売り王リバモアの読み
1920年代の株価高騰がバブルであることを見抜いていた代表的な投資家がジェシー・リバモアとジョゼフ・ケネディです。ジェシー・リバモアの投資手法は主に、空売りでした。リバモアは大恐慌がはじまる1カ月前の9月に独自の情報網によって、イングランド銀行が金利の引き上げを検討していることを掴みます。イングランド銀行は過熱する対外投資を利上げで牽制しようとしていたのです。 リバモアはイギリスの資金がウォール街から退いていくことの影響は大きいと判断して、大規模な空売りを仕掛けていきました。その直後、イングランド銀行は政策金利を5.5%から6.5%に引き上げます。これは、FRB(連邦準備銀行)の6%を上回る水準でした。そのため、10月に入り、ダウ平均株価は徐々に値を崩していきました。株価90%下落!
ジョン・F・ケネディの父ジョゼフ・ケネディも投資家として巨万の富を築いており、株価暴落の予兆を感じ取っていました。ケネディは、靴磨きの少年までが株を勧めるのを聞いて、株式市場の過熱を悟ったと言われますが、これは作り話の類いです。ただ、ケネディは暴落の直前に、株を売り払っていたことは事実です。 こうした状況から、1929年10月24日、ゼネラルモーター株が125万ドル分の大量売りに見舞われ、これに端を発し、全銘柄に売り注文が殺到しはじめました。暗黒の木曜日と呼ばれるウォール街の株価大暴落です。下がりはじめた株価に恐怖を感じた人々が保有株を売ろうとウォール街に押し寄せ、パニックとなります。この日一日の株価暴落で、30億ドル( GDP比3%)が消え失せました。 その後も、連日、株価は下がりはじめ、1カ月で40%も暴落し、3年間で90%下落していきます。ジェシー・リバモアの読みが当たり、この間、彼は1億ドル(現在の貨幣価値で4000億円)以上の利益を上げたと言われます。 株価暴落で、企業や銀行の倒産があいつぎ、失業率は1932年に23.6%に到達、約4人に1人が失業します。1932年までの3年間、GDPは51%下落、工業生産は46%下落します。アメリカが景気後退することで、ヨーロッパのアメリカ資本は引き上げられ、ヨーロッパ諸国も景気後退に陥り、恐慌はソ連を除く全世界に広がり、世界恐慌となります。フィッシャーもケインズも大損
当時、投資家のみならず、一流の経済学者もこのような事態を想定できませんでした。新古典派の経済学者アーヴィング・フィッシャーは株暴落の数日前に、「株価は、恒久的に高い高原のようなものに到達した」と発言し、株価は高値ボックス圏で安定推移すると主張しました。暴落の数カ月後も、フィッシャーは、「回復は間もなく訪れる」と発言していました。この時、フィッシャー自身が多額の投資をしていたため、資産のほとんどを失いました。 ケインズもやはり、暴落を予想できませんでした。ケインズは若い頃から為替投資に入れ込み、何度も失敗していました。世界恐慌が起こった時には、ケインズは大量の株を買っており、そのため、資産の大半を失いました。 暴落を読み当てた数少ない人がリバモアとケネディでした。リバモアは大暴落で巨万の富を手に入れますが、その後は、相場を読み間違え、破産してしまいます。「私の人生は間違っていた。」と遺書に残し、1940年、ピストル自殺をしました。 一方、ケネディは、政治の世界に入ります。フランクリン・ルーズヴェルトの大統領選出時(1932年)に多額の献金をおこない、1934年、初代証券取引委員会委員長の座を射止めます。相場師として悪名高いケネディを任命したことについて、ルーズヴェルトは「泥棒を捕まえるのに泥棒が必要だ」と言ったとされます。 次回は株価大暴落によってはじまった世界恐慌について、見ていきます。 【宇山卓栄(うやま・たくえい)】 1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。予備校の世界史講師出身。現在は著作家、個人投資家。テレビ、ラジオ、雑誌など各メディアで活躍、時事問題を歴史の視点でわかりやすく解説することに定評がある。最新刊は『世界史は99%、経済でつくられる』(育鵬社)。
『世界史は99%、経済でつくられる』 歴史を「カネ=富」の観点から捉えた、実践的な世界史の通史。 |
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