カネで読み解くビジネスマンのための歴史講座「第16講・中国と日本、通貨の戦争 ①」

国民党政府が発行した法幣

国民党政府が発行した法幣

暗転

 世界恐慌の状況下で、1931年以降、各国が金本位制を離脱すると、紙幣価値の減退で金需要が増大し、金価格が上昇します。銀価格も上昇し、1932年の0.254ドルを底に、1935年には0.584ドルへと恐慌前の水準に戻りました。  銀価格上昇で、海外資金が流出し、上海の土地資産価格が落ち込み、農産物をはじめとする諸物価も下落します。輸出企業が損失を被り、輸出が急激に落ち込み、貿易赤字が拡大しました。担保価値の下落により債務返済不能に陥る企業が増加し、金融機関が破綻します。中国は上海などの都市部を中心に恐慌に襲われたのです。

法幣「元」

 国際銀価格の乱高下の中、中国は銀本位制という前時代的な貨幣制度に振り回されていました。そのため、蒋介石政権は1934年、通貨制度の抜本的な改革をはじめます。銀貨の流通を禁止し、政府系のいくつかの銀行が発行する紙幣(法幣)のみを認める政策を採用します。政府は、貨幣を「元」に統一(廃両改元)し、発行量をコントロールしながら、金融政策を掌握していきます。  当時、中国各地に割拠する軍閥はそれぞれ独自に、通貨を発行していました。通貨の種類は1000を超えて、経済圏が分断されており、それを統一することも、通貨改革の重要な目的だったのです。  蒋介石は通貨改革のため、イギリスの手を借りました。イギリスは、「元」をポンドとリンクさせる管理通貨制度への移行、銀の国有化、法幣の使用強制などを指導します。

ポンドとドルを背景に

「中国銀行」、「中央銀行」、「交通銀行」、「中国農民銀行」の政府系4銀行の発行する銀行券のみが法定通貨、つまり、法幣と定められ、銀保有者は銀と法幣との交換を強制されました。 法幣「元」はポンドと交換可能で、1圓=1シリング2・5ペンスとされました。法幣の安定のために、中国の銀はイギリスの銀行のHSBC(香港上海銀行)に接収され、基金として積み立てられました。こうして、イギリスは、対中国債務の保全を図り、「元」をポンドの支配下に置きます。  アメリカは、1935年、米中銀協定を締結し、中国の銀を買い取ります。中国はアメリカ・ドルを大量に準備し、イギリス・ポンドと並び、外貨による「元」安定のための基金としました。  当初、中国民衆は法幣を信用せず、取引を銀でおこないましたが、国民党政府が銀使用を厳しく罰したこともあり、次第に法幣は流通しはじめます。ポンドやドルの豊富な外貨準備で安定した「元」を基礎に、中国経済は1936年以降、回復していきます。  中国はこの法幣「元」を創設したことにより、その後の日中戦争で、資金調達を有利に展開することができました。次回、日本と中国の戦いの舞台裏、通貨の戦争について、見ていきます。 【宇山卓栄(うやま・たくえい)】 1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。予備校の世界史講師出身。現在は著作家、個人投資家。テレビ、ラジオ、雑誌など各メディアで活躍、時事問題を歴史の視点でわかりやすく解説することに定評がある。最新刊は『世界史は99%、経済でつくられる』(育鵬社)。
世界史は99%、経済でつくられる

歴史を「カネ=富」の観点から捉えた、実践的な世界史の通史。

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