カネで読み解くビジネスマンのための歴史講座「第17講・中国と日本、通貨の戦争 ②」

中国の通貨改革の指揮をとったイギリスの財務官F.W. リース・ロス

中国の通貨改革の指揮をとったリース・ロス

イギリスとの交渉の決裂


 日本は1932年、「満州国」を樹立し、満州から華北(中国北部)地方への進出を狙っていました。日本は傀儡の冀東防共自治政府を樹立し、華北を蒋介石率いる国民党支配から切り離す「北支分離工作」を進めていましたが、国民党政府が通貨統一事業を達成し、中国経済圏を確立すると、次第に分離工作は困難になります。

 この間、イギリスは日本に対し、中国の幣制改革で協調するように呼び掛けていました(リース・ロス、広田弘毅、重光葵との会談)。日本が協調するならば、イギリスや中国は「満州国」を承認するという条件を日本に提示していました。しかし、日本は更なる領土拡大の路線に傾斜しており、イギリスの申し出を断りました。

 日本がイギリスの経済協調案に乗らなかったことが、日中戦争や太平洋戦争という災禍を招く大きな原因となります。

「戦争によって戦争を賄う」


 1937年、盧溝橋事件が勃発し、日中戦争がはじまると、日本軍は華北を速やかに占領し、さらに南下して、上海、南京を占領します。日本は「華北連合銀行」(華北地方)、「蒙彊銀行」(モンゴル・ウイグル地方)、「華興商業銀行」(上海)、「中央儲備銀行」(南京、華南地方)を設立し、国民党政府の法幣「元」を排除し、これらの銀行の銀行券を新たに通貨として発行します。

 これらの銀行が発行する銀行券は「圓(円)」であり、本国の日本銀行券と同じ価値を持つものと喧伝されました。しかし、実際には、日本銀行券との交換は不可能であり、日本銀行券と切り離された通貨でした。

 日本の軍部は「戦争によって戦争を賄う」という考え方のもと、占領地で裏付けのない紙幣を大量印刷し、強引に流通させようとしました。そもそも、日本には、中国を軍事支配するのに耐えられるだけの資金力などありませんでした。

 日本は台湾や朝鮮でも、銀行を設立し、台湾銀行券や朝鮮銀行券を発行していました。台湾や朝鮮は規模が小さく、統治が比較的容易でした。徴税も円滑に進み、徴税権に裏付けされた植民地銀行券は一定のレベルで信用されました。

 しかし、大国の中国は、台湾や朝鮮と事情が異なります。それにも関わらず、日本の軍部は台湾や朝鮮で成功した財政モデルをそのまま、中国に当てはめようとし、失敗したのです。

計画なき日本軍のファイナンス


 日本軍により発行された銀行券は、軍費調達のための手形である軍票とともに乱発され、価値が暴落していきます。結局、これらの銀行の銀行券は信用を得られず、ポンドやドルの裏付けのある国民党政府の法幣に取って代わることはできませんでした。

 こうして、日本軍は占領地でのファイナンスに窮したため、軍事力による強制徴用で、軍事物資を調達するしかなく、広大な中国において、際限なく戦線を拡大していきました。日本軍はファイナンスの計画性をほとんど持たず、また、当時、浸透しつつあった法幣への対抗手段を持たず、無謀な戦争に突入したのです。

【宇山卓栄(うやま・たくえい)】
1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。予備校の世界史講師出身。現在は著作家、個人投資家。テレビ、ラジオ、雑誌など各メディアで活躍、時事問題を歴史の視点でわかりやすく解説することに定評がある。最新刊は『世界史は99%、経済でつくられる』(育鵬社)。

世界史は99%、経済でつくられる

歴史を「カネ=富」の観点から捉えた、実践的な世界史の通史。

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