世界史の中の日本 本当は何がすごいのか【第4回:日本とイタリア】

ローマ キルナーレ宮(縮小)

ローマ キルナーレ宮

日本とイタリアのつながり


 東京都美術館で日伊国交樹立150周年を記念した「ティツィアーノとヴェネツィア派展」(2017年1月21日~4月2日)が開催されている。日本とイタリアは昨年、日伊修好通商条約締結(1866年)から150年を迎えたのだが、そもそも日本とイタリアのつながりは、どこまでさかのぼればいいのだろう。支倉常長の慶長遣欧使節は、そこに一つの大きな足跡を残している――。

慶長遣欧使節は外交の基本が何かを教えている


 外交とは何であるか。書簡を交わして成り立つようなものではありません。やはり究極は人間と人間とが直接出会い、精神的なつながりをつくる、外交の基本はそこにあって、これは現代でも変わるものではありません。

 そのことを如実に見せてくれるのが、支倉常長を正使とする慶長遣欧使節です。

 支倉常長の一行は最終的な目的地イタリアに入り、チヴィタ・ヴェッキアに着きました。その翌日に法王パウロ5世がぜひ会いたいということで謁見しました。スムーズに謁見が実現したのは、日本が金銀の国である、というマルコ・ポーロの情報のお陰もあったでしょう。でも、それだけではありません。はるか東の彼方から海を越えて使節を送ってくる外交への意欲。それを実現させる日本という国の力。このことへの評価もあります。そして日本とイタリアの国としてのあり方の類似性も大きかったと思います。

日本の天皇とローマ法王の類似性


 当時のイタリアは都市国家に分かれていて、統一した国家ではありませんでした。その中にバチカンを中心としたローマ法王庁があって、キリスト教という宗教の精神性に立ってイタリアを代表している、という形です。その中心にいるのが法王で、その長い継続によってキリスト教国が保たれてきました。

 日本もこれに似ています。徳川家康が天下を制してはいますが、内部は各藩に分かれています。この形の上に神道という宗教の精神性を備えた権威である天皇がいます。長く継続する天皇の存在によって日本の統一は保たれています。

 宗教的祭祀を執り行うことで権威を具現し、精神的支配者として統一の柱となる神道の長とカトリックの長。常長は天皇の名代ではありませんが、こういう国のあり方の類似性が、支倉使節を迎えたパウロ5世に親近感を与えたのだと予想されます。

慶長遣欧使節は日本の高度な文化をヨーロッパに知らしめた


 1615年10月31日、支倉使節を迎えて大歓迎式が行われました。バチカンを出発してローマを横断する大行列です。市民の熱狂的な歓迎ぶりは余すところなく記録されています。そして、法王庁であるキルナーレ宮での式典では、常長と堺・大坂・京都の商人、それに武士一人、加えてソテロがローマ市民章を受け、貴族に列せられました。この様子はキルナーレ宮の壁画に描かれています。

 この盛大な歓迎ぶりは、異なった風俗の東洋からの来訪者が珍しかったからだ、という見方があります。しかし、法王庁は支倉使節を正確に把握していました。それは、支倉使節がキリスト教徒ではない、と認識して遇していることでもわかります。支倉使節の歓迎式典が行われたキルナーレ宮の部屋が、天正少年使節を迎えた部屋とは違うところに、それがはっきりと現れています。

 それにもかかわらずこの大歓迎。やはり、支倉使節の外交は大成功だったのだ、ととらえるべきでしょう。前にも述べましたが、侍姿の支倉常長の肖像画を収めているボルゲーゼ美術館。この館の主はパウロ5世の弟です。このことからも、支倉使節がいかに重要視されたかがうかがえます。支倉使節によって高い文化をもつ日本の存在はヨーロッパに広く知られ、浸透していったのです。

(出典/田中英道著『[増補]世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』育鵬社)

【田中英道(たなか・ひでみち)】
東北大学名誉教授。日本国史学会代表。
著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『[増補]日本の文化 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』(いずれも育鵬社)ほか多数。

[増補]世界史の中の日本 本当は何がすごいのか

他国の歴史と比べることで見えてきた日本の“いいところ"。




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