中学校歴史教科書で「聖徳太子」が復活した!(4)――「通説の呪縛」からの脱却を

アジア・太平洋戦争という表示

国立歴史民俗博物館では、「アジア・太平洋戦争」という用語が用いられている

先の大戦を「アジア・太平洋戦争」と言われても


 歴史学界の一部には、ある種の思惑を持って歴史用語を変えたい人々がいるようだ。先の大戦の名称についても、そのことがいえる。

 わが国は先の大戦を、日中戦争(支那事変)を含め大東亜戦争と名付け戦ったが、戦後、GHQ(連合国軍総司令部)がその名称を用いることを禁止したので、太平洋戦争という用語が戦後は一般化した。

 これに対して一部の歴史学界では、戦争の期間に着目した「15年戦争」という用語を使い始め一時、流行ったが徐々にすたれ、近年では、戦争のエリアを重視した「アジア・太平洋戦争」という用語が流行っている。

 このアジア・太平洋戦争という用語に関しては、アジアという地理概念が広すぎ、アジア全域が戦地ではなかったという決定的な反論がある。

 文科省は、このアジア・太平洋戦争という用語を用いた教科書が出現した際には、「現在一般的とは言い難い」として検定意見を付けたが、その後、歴史学界で使用されるケースが増え、アジア・太平洋戦争(太平洋戦争)という用語を許容し始めた。

 ちなみに、先の大戦の名称に関しては、現行の学習指導要領や新しい案でも「第二次世界大戦」とだけ記述している。

 親世代は、太平洋戦争と学び、あるいは祖父母から聞かされていた大東亜戦争という言葉の記憶があるが、子供世代から「アジア・太平洋戦争だよ」と言われても戸惑うばかりである。

 ちなみに、育鵬社の歴史教科書では、歴史用語として定着している太平洋戦争をメインに据え、戦争当時に用いられていた大東亜戦争を()書きで表記している。

家永教科書裁判のトラウマ


 さて、文部科学省が、歴史学界の動向を気にしすぎる背景には、一つのトラウマ(心的外傷)があるからではないか。家永教科書裁判がそれである。

 家永三郎(東京教育大学名誉教授、1913~2002)は、日本思想史の大家である。彼は、文部省(当時)による教科書検定によって、自著の高校の日本史教科書『新日本史』が検定不合格処分や条件付き合格処分を受けたことを不服として、国を相手取り、三次にわたる訴訟を行った。

 第一次訴訟の提訴は昭和40(1965)年、第三次訴訟の最高裁判決は平成9(1997)年という、実に32年間わたる記録的な長期間の裁判であった。

 結論は、教科書検定制度は合憲であるが、検定内容の一部に裁量権の逸脱があったとする内容である。

 この家永裁判に関して、文部省は全力を挙げて受けて立ち、「学界の通説」を全面に押し出し反論を試みた。以来、教科書検定において「通説」に呪縛され、そこに止まらざるを得なくなっていたのではないか。

「通説」には、時としてさまざまな思惑が込められる


 ここで厄介なのは「通説」である。

 学界で一般的に認められている見解が通説ではあるが、日本史の学者にもさまざまな人がいて、歴史認識に関わる観点について、学術誌に掲載されたとしても、本当に適切かどうかが判然としないことがある。

 例えば、「南京大虐殺」なる呼称である。昭和12(1937)年12月の日中戦争時の首都・南京の占領時における事件に関して、最近の教科書では事件の実態についてさまざまな議論があるので、客観性を保つ上で「南京事件」と記述されるようになってきた。

 しかし、「南京大虐殺とも呼ばれる」という記述も見受けられ、これは歴史学界の一部で、そのように呼称されている反映である。

 聖徳太子についても、厩戸皇子、あるいは厩戸王も、歴史学界でそのように呼称されているが、今回、文科省がパブリックコメントに基づき、聖徳太子(厩戸皇子)とする方向は、国民に定着している歴史用語を重視することの表明のようにも思える。

 義務教育における歴史教育は、「日本という物語」を、歴史的事実に基づき、親から子、子から孫へと語り継いでいくことが主眼ではないだろうか。

 とするならば、重箱の隅をつつくような「通説至上主義」から脱し、教育基本法の【教育の目標】を達成できるように、次の世代の育成に寄与していくことが文科省には期待されている。(了)

(文責=育鵬社編集部M)

もう一度学ぶ日本史

聖徳太子も掲載。実際の中学校用歴史教科書の再編集で読みやすい。大人の学び直しに最適。




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