日本の歴史 本当は何がすごいのか【第1回:文字のない時代に生まれたゆえの神話の美しさ】

アテネ アカデミーのプラトン像とソクラテス像(縮小)

アテネ アカデミーのプラトン像(右)とソクラテス像(左)

なぜ『古事記』で語られている神話の言葉は美しいのか


「人々がこの文字というものを学ぶと、記憶の錬磨がなおざりにされるため、その人たちの魂の中には、忘れっぽい性質が植えつけられることだろう…。それはほかでもない、彼らは、書いたものを信頼して、ものを思い出すのに、自分以外のものに彫りつけられたしるしによって外から思い出すようになり、自分で自分の力によって内から思い出すことをしないからである」

 これはギリシャの哲学者プラトン(紀元前427~紀元前347)の著作『パイドロス』(藤沢令夫訳・岩波書店より抜粋)の中でソクラテスが述べていることです。

 近代の歴史学の歪みはここにはじまるといえるでしょう。まず、起こった出来事を文字で記録する。分析する。解釈する。それが歴史だということになりました。この考え方こそ、肝心要のものを忘れてしまっているのです。

 文字による知恵は外見にすぎないということです。人間の真ん中にある知恵は、魂の知恵なのです。あるいは、忘れているというより、文字に溺れてしまって、魂の知恵があることを知らないのかもしれません。

 日本の近代歴史学の代表格である津田左右吉をはじめ、歴史学者のほとんどがそうでした。だから、『古事記』や『日本書紀』は天皇の権威を高めるために、権力者の正統性を知らしめるために書かれ、神話もそのためにつくられたというのです。一方、『魏志倭人伝』を文字で書かれているというだけで事実と信じ、卑弥呼はどこにいたか、などと無意味な詮索に熱中することになるのです。文字というものによって、でたらめでいい加減なことが書かれることは重々承知しているはずなのに……。

『古事記』は稗田阿礼が語ることを太安万侶が書き留めたものです。つまり『古事記』にある神話は、すべて稗田阿礼が魂に記憶していたことなのです。文字に溺れている者は、まずこのことを疑います。一人の人間があれほどの分量のことを隅々まで正確に記憶しているはずがないと。

 しかしそれは、まだ文字がなかった時代のことを想像してみようとはしない人間の考えです。稗田阿礼だけではありません。そのはるか昔から、ほとんどすべての人は魂で記憶したことを口づてに伝えてきたのです。魂で記憶したことを口づてに伝える。それが唯一の方法だったのです。稗田阿礼は文字のない時代に、魂で記憶し、記憶したものをいささかも分析したり解釈したりせずに次代に伝える最後の一人だったのかもしれません。だから、『古事記』で語られている神話の言葉は美しいのです。芸術的なのです。

(出典/田中英道著『日本の歴史 本当は何がすごいのか』育鵬社)

【田中英道(たなか・ひでみち)】
東北大学名誉教授。日本国史学会代表。
著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『[増補]日本の文化 本当は何がすごいのか』『[増補]世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』(いずれも育鵬社)ほか多数。

日本の歴史 本当は何がすごいのか

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