日本の歴史 本当は何がすごいのか【第10回:思いのまま自己を表現している『万葉集』の重要性(続)】

明日香村野口額田王の墓万葉歌碑(縮小)

万葉集の代表歌人・額田王の歌碑(明日香村)

『万葉集』には真の個人主義があ


 それだけではありません。歌を詠んだ作者の多様性にも驚くものがあります。天皇がいます。役人がいます。防人がいます。地方の人がいます。農民もいます。遊行女婦から物乞いまで歌を詠み、それが選ばれているのです。もちろん、男女の別もありません。日本の古代がいかに平等な社会であったかということです。

 しかし、これをいうだけでは不十分です。前述したように、私が『万葉集』でもっとも重要だと考えるのは、歌に現れている個人主義です。ほとんどが自分の感慨、感情、経験など、個人のことをうたっています。山部赤人は自然と自分との交わりをうたいました。大伴旅人は妻の死を悲しんで詠みました。山上憶良は生活の貧しさを率直に詠みました。

 名もなき男女が恋の喜びをうたい、遠くの恋人に思いを馳せ、恋の思いが通じないことに苛立ち、恋人の心変わりを嘆き、恋に執念を燃やします。出会いに満面の笑みをたたえ、別れの悲しみに打ちひしがれます。

 そこにあるのは闊達に、自由に、思いのままに自己を表現している姿です。

 これはまさに個人主義です。しかし、現代に見られる個人主義とはちょっと違います。

 闊達に自分を和歌で表現できるというのは、個が確立しているからにほかなりません。個の確立は個人主義の基盤です。自分が何者なのかがしっかりと把握できているのです。

 では、いま個人主義といわれているものはどうでしょうか。自分が何者なのかを自覚できないままに自分の利だけを主張する。それが個人主義だとされていないでしょうか。

 万葉の歌人たちに自分は何者なのかを自覚させたものは何か。それは本文でも述べました。共同体です。日本という国です。共同体があり、その中に自分は生きているという自覚、あるいは認識。それが万葉の人々に個を確立させ、闊達にしていたのだと思います。その代表格が繊細な自分の感情をうたい、憂鬱な気持ちをうたい、同時に、天皇は神であるとうたい、天皇のために死んでも悔いはないとうたった柿本人麻呂であり、大伴家持であることは、本文の中で述べました。

 共同体の中に生きている自分。これをしっかり把握することが、真の個人主義なのです。このことを私たちは万葉の人々から学ぶことができるのです。

(出典/田中英道著『日本の歴史 本当は何がすごいのか』育鵬社)

【田中英道(たなか・ひでみち)】
東北大学名誉教授。日本国史学会代表。
著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『[増補]日本の文化 本当は何がすごいのか』『[増補]世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』(いずれも育鵬社)ほか多数。

日本の歴史 本当は何がすごいのか

知っていますか? 日本の“いいところ" 伝統と文化の魅力がわかる14話




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