カネで読み解くビジネスマンのための歴史講座 「第27講 ・人身売買ビジネス」

奴隷狩り

奴隷狩り

 ハイパーインフレはなぜ起きた?バブルは繰り返すのか? 戦争は儲かるのか? 私たちが学生時代の時に歴史を学ぶ際、歴史をカネと結び付けて考えることはほとんどありませんでした。しかし、「世の中はカネで動く」という原理は今も昔も変わりません。歴史をカネという視点で捉え直す! 著作家の宇山卓栄氏がわかりやすく、解説します。

30%のリターン

 17世紀後半以降、イギリスは黒人奴隷貿易で、莫大な利益を得ます。イギリスは、銃や剣などの武器をアフリカに渡し、黒人奴隷と交換します。黒人をカリブ海の西インド諸島に搬送し、砂糖プランテーションで強制労働させて、砂糖をイギリスに持ち帰る三角貿易をおこないます。  黒人は「黒い積み荷」、砂糖は「白い積み荷」と呼ばれました。大量に供給された砂糖は増大する人口のカロリーベースを補っていきます。  イギリスは17~18世紀、スペインやフランスという競合者と戦争をし、彼らに勝利することで、奴隷貿易を独占し、莫大な利益を上げていきます。当時、奴隷貿易ビジネスへ出資した投資家は30%程度のリターンを得ていたとされます。この犯罪的な人身売買ビジネスが、イギリスにとって、極めて有望な高収益事業であったことは間違いありません。  フランスもイギリスに続き、カリブ諸島やハイチに進出し、黒人奴隷を使った砂糖プランテーションを経営します。アダム・スミスも言及する程、ハイチの砂糖プランテーションは繁栄し、大きな利益を上げていました。ハイチなどのフランスのプランテーションに黒人奴隷を売っていたのはイギリスでした。

覇権の肥やしを搾り取る

 18世紀前半から産業革命がはじまると、綿需要が高まり、綿花栽培のプランテーションが西インド諸島につくられます。綿花は砂糖に並んで「白い積み荷」となります。17~18世紀のイギリスは砂糖や綿花を生産した黒人奴隷の労働力とその搾取の上に成立していました。  1790年代に産業革命が本格化すると、西インド諸島のプランテーションだけでは、原綿生産が間に合わず、アメリカ合衆国南部一帯にも、大規模な綿花プランテーションが形成され、黒人奴隷が使われました。  1783年、イギリスから独立したアメリカは、奴隷に家族を持たせ、子供を産ませて、黒人の子孫たちを永続的に土地に住まわせ、奴隷人口を増大させました。そのため、アメリカの奴隷購入は減少していきます。  18世紀後半に到るまで、1000万人~1500万人の奴隷たちがアフリカから連行されたため、アフリカ地域の人的資源が急激に枯渇し、奴隷の卸売り価格が上昇しました。また、南北アメリカの砂糖、綿花の生産量増大による価格低下で、奴隷貿易の利益は先細りしはじめました。  人道的な批判や世論も強まり、イギリス議会は1807年、奴隷貿易禁止法を制定します。しかし、それでも19世紀半ばまで、奴隷貿易は続きます。この頃、イギリスはインドの植民地化を着々と進め、インド産の原綿を収奪しました。  また、ポルトガル領ブラジルでは砂糖の生産量が飛躍的に向上しました。原綿、砂糖の供給が増加し、価格が下がる一方の状況で、奴隷貿易は遂に利益が出なくなり、自然消滅していきます。  奴隷貿易がなくなったのは人道的な理由というよりはむしろ、経済的な理由によるところが大きかったと言えます。イギリスは黒人奴隷を搾り取れるところまで、充分に搾り切って、自らの覇権の肥やしとしたのです。 【宇山卓栄(うやま・たくえい)】 1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。予備校の世界史講師出身。現在は著作家、個人投資家。テレビ、ラジオ、雑誌など各メディアで活躍、時事問題を歴史の視点でわかりやすく解説することに定評がある。最新刊は『世界史は99%、経済でつくられる』(育鵬社)。
世界史は99%、経済でつくられる

歴史を「カネ=富」の観点から捉えた、実践的な世界史の通史。

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