【連載小説 江上剛】 「ずっとエッチもしていない奥さんとお墓に一緒に入りたいの?」少し酔ったのか、怒りだす麗子……【一緒に、墓に入ろう。Vol.5】
メガバンクの常務取締役執行役員にまでのぼりつめた大谷俊哉(62)。これまで、勝ち馬に乗った人生を歩んできたものの、仕事への“情熱”など疾うに失われている。プライベート? それも、妻はもとより、10数年来の愛人・麗子との関係もマンネリ化している。そんな俊哉が、業務で霊園プロジェクトを担当している折、田舎の母の容体が急変したとの知らせを受ける。
順風満帆だった大谷俊哉の人生が、少しずつ狂い始める……
「墓じまい」をテーマに描く、大人の人生ドラマ――
第一章 俺の面倒は誰が見るの?Vol.5
「俊哉さん、そんなに気になるならさ、どこかにお墓を買って、一緒に入ろうか」 とても良い考えだとばかりに麗子が身を乗り出す。 「ばか、一緒に入れるわけがないだろう」 俊哉が渋い顔をする。 「どうして?」 麗子が怒った顔でナイフとフォークを置いた。カチャと金属が皿に当たる嫌な音がした。 「どうしてってさ……」俊哉は麗子の表情に何やら不穏なものを感じて言葉を発するのを躊躇した。「夫婦じゃないから」 麗子が少し目を潤ませている。 「そんな怖い顔をするなよ」 「だってもう十年以上、夫婦みたいに付き合ってるのよ。それに愛し合っているし。俊哉さん、奥さんとはずっとご無沙汰でしょう。それでもお墓には一緒に入りたいの? エッチできないわよ」 まだ怒っている。 死んで焼かれて、骨になってエッチもないだろう。しかし、ここで馬鹿なことを言うなと一喝すると議論があらぬ方向に行ってしまう。要警戒だ。 やはり麗子も四〇歳になったら、先を考えるのか。 潮時? いやいやそんな自分勝手なことを考えてはいけない。 「はははは」作り笑いをする。 「骨になってエッチしたら、かちゃかちゃと音はうるさいし、痛いだろうね」 「馬鹿」 麗子は本当に怒った。 「悪かったよ」 俊哉もナイフとフォークを下ろす。墓の話題なんか持ち出すんじゃなかったと後悔する。 「最近、ちょっとイライラしてるのかな」 麗子が暗い顔でうつむく。 「なんでさ」 俊哉が手を延ばし、麗子の顔を上げる。 「ちょっと疲れたのかな。銀座のお店も一〇年過ぎたでしょう。最近はさ、なかなかお客様が来ないのよね。常連さんも年をとって引退して家に引きこもったり、会社のお金も使うのが厳しくなったしね、コンプライアンスのせいね。街に出れば、中国語と韓国語が飛び交っているでしょう。銀座も変わってきたのよ」 気を取り直したのか、またナイフで肉を切り始めた。 「止めるつもりなの?」 俊哉は小鉢の中の雷こんにゃくを摘まむ。これも好物だ。どうしてこんな安っぽいものが好きなのだろうか。 「さあ、どうかな?止めても何をするってわけじゃないしね」麗子は、急に真顔になって俊哉を見る。「お嫁さんにしてくれる」 「おいおい、急にどうしたんだよ」 俊哉は、動揺が顔に出ないように注意しながら、本気で言っているのか、そうでないのか見極めようと麗子を見つめる。 「私、俊哉さんのお嫁さんになって、一緒のお墓に入る!俊哉さんがもしボケても面倒見てあげるからね。一緒のお墓に入ろ!それがいい」 麗子は、興奮し、顔を紅潮させている。ワインを飲ませ過ぎたようだ。 そろそろ帰らないと女房が変に思うかもしれない。俊哉は、そっと腕時計を覗き見た。 いつの間にか音楽はモーツァルトのレクイエムに変わっている。美しく荘厳な歌声が響く。俊哉は、自らの葬送の場にいるような気がして心が重くなった。 <続く> 作家。1954年、兵庫県生まれ。77年、早稲田大学政治経済学部卒業。第一勧業(現みずほ)銀行に入行し、2003年の退行まで、梅田支店を皮切りに、本部企画・人事関係部門を経て、高田馬場、築地各支店長を務めた。97年に発覚した第一勧銀の総会屋利益供与事件では、広報部次長として混乱収拾とコンプライアンス体制確立に尽力、映画化もされた高杉良の小説『呪縛 金融腐蝕列島II』のモデルとなる。銀行在職中の2002年、『非情銀行』でデビュー、以後、金融界・ビジネス界を舞台にした小説を次々に発表、メディアへの出演も多い。著書に『起死回生』『腐食の王国』『円満退社』『座礁』『不当買収』『背徳経営』『渇水都市』など多数。フジテレビ「みんなのニュース」にレギュラーコメンテーターとして出演中(水~金曜日)ハッシュタグ
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