予想外に冷静だったわが妻 [楽しくなければ闘病じゃない:心臓バイパス手術を克服したテレビマンの回想記(第2話)]

心臓

心臓右下矢印の部位の血管は特に石灰化が激しく一部途絶しているように見える

狭窄は3か所

「入院の準備をして直ちに来院されたし」の電話を受け取り、取るものもとりあえずタクシーで駆けつけたのが慈恵医大病院外来の循環器科。普段は留守がちの連れ合いもこの時は幸い在宅していたので、「家族と一緒に」という病院の要望にも沿うことができた。担当の小川和男先生は診察中とのことで、二人でしばらく待つことになった。 「労作性狭心症と言われても、そんなに急がなければいけないものなのかね」 「わかんないけど、対応は早いほうがいいよ」 「今だって何の自覚症状もないし、何かの間違いじゃないのかね」 「そんなことはないと思うよ。こんな大きな病院が間違うわけないよ」  ボクは自分の置かれた状況を認めたくなかった。病院の対応はオーバーだと思っていた。連れ合いはその点冷静である。これまで慈恵医大病院には18年もお世話になり、前立腺ガンの検査で二日間ほど入院したことはあるが、連れ合いと一緒に来院というのは初めてだった。  この時の連れ合いの物言いがあまりにも冷静なので、ボクは突き放されたような孤独感を感じた。連れ合いとは前妻をガンで亡くした後、しばらくして彼女の男の子とともに一緒の生活を始め、12年になる。31の年の差がある脳外科医の娘である。  まもなくボクの番が来て、二人で診察室に入った。小川先生は「すぐ来ていただいて本当によかったです」と言いながら、一枚の写真を間近で見せてくれた。 「これがあなたの心臓のCT写真です。3か所ほど白く映っているところがありますね。これは冠動脈といって心臓が心臓自身に血液を送る重要な血管ですが、ここは根幹の部分にあたるところです。白く映っているところが詰まっているんです。3本ある冠動脈のすべてに狭窄が見られます。それで血液の循環が悪くなり、負荷がかかると胸が痛くなるのです」 「白いということは石灰化しているということですか」とボクはネットで調べたばかりの知識を踏まえて質問した。 「そうです。動脈硬化の結果です。しかし、この写真だけではおよそのことしかわからないので、これからカテーテル検査を受けてもらい、細かいところまでチェックします。夕方から夜にかかるかもしれませんが、しばらくお待ちください」

カテーテル検査

 カテーテル検査と聞いてボクはギョッとした。カテーテルという細い管を手首か太ももの血管に差し込み、どんどん伸ばして心臓まで届かせ、詰まり具合などの状況を検査する方法である。これもネットで調べたばかりだった。 「でも血流は維持できているんですよね。そこまでしなければだめですか」とボク。  先生の話を聞いていた連れ合いは、外見は平静を装っても、その実、臆病者でもあるボクが躊躇して検査を断るのではないかと思ったようだった。断定的に言った。 「カテーテル検査はいいですね。きちんと調べないと始まりませんよね」  オイオイ検査を受けるのはオレだよ、その身にもなってくれよと思ったがこの断言で流れが決まってしまった。  それから先のことはあまりよく覚えていない。連れ合いは「夕方約束があるから」と言い、入院用のパジャマなどを残して帰ってしまった。

健康自慢の鼻折られる

 生まれてこの方76年、大した親孝行はしなかったが、病気で入院したり、手術を受けたりしなかったことがボクの自慢だった。孔子の言葉にいう。「身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり」(わが身体は両手両脚はもちろん毛髪、皮膚の末端に至るまですべて父母からいただいたものである。これを大切に守り、痛めたり、傷付けたりしないことが親孝行の始めである)。  さすが孔子はいいことを言う。何も自慢するもののないボクだが、時折この言葉で健康を自慢し、周囲をけむに巻いた。それが心の臓まで管を入れられるなんて……。肝心のところががたがただった。貴重な誇りが吹き飛んだ一瞬だった。 慢心は満身創痍と隣り合わせである。 協力:東京慈恵会医科大学附属病院 【境政郎(さかい・まさお)】 1940年中国大連生まれ。1964年フジテレビジョン入社。1972~80年、商品レポーターとして番組出演。2001年常務取締役、05年エフシージー総合研究所社長、12年同会長、16年同相談役。著者に『テレビショッピング事始め』(扶桑社)、『水野成夫の時代 社会運動の闘士がフジサンケイグループを創るまで』(日本工業新聞社)、『「肥後もっこす」かく戦えり 電通創業者光永星郎と激動期の外相内田康哉の時代』(日本工業新聞社)
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