データを甘く見た報いなのか [楽しくなければ闘病じゃない:心臓バイパス手術を克服したテレビマンの回想記(第4話)]

甘辛両党のうえ、特に甘いものには目がなかった

甘い生活の典型:和洋問わず菓子は大好物だった。

病魔は甘さを突いてくる

 入院生活が始まって、どうしてこうなったのかつくづく考えた。  平成10年3月から、糖尿病の診察を受けていたが、本格的な糖尿病を抱えていたわけではないと思ってきた。それほど血糖値は高くなかった。いわゆる生活習慣病予防、メタボ対策である。  2か月に1回は病院に行っていた。にもかかわらず、なぜ心疾患の病魔に隙を突かれるようなことになったのか。  狭心症や心筋梗塞の原因は動脈硬化によるところが大きい。加齢とともに、動脈は弾力を失い硬化するが、高血圧症、高脂血症、糖尿病、肥満、喫煙、ストレスなどがそれを促進するという。ボクの場合、40~60才代のころ、血圧は高めだったが、異常といわれるほどではなかった。  むしろ強く指摘されたのは高脂血症(脂質異常症)である。70才のころのデータを見ると、中性脂肪は200~250(mg/dl)で、基準範囲とされる50~149を大きく超えていた。また、コレステロール値も高く、善悪のバランスが悪かった。  悪玉(LDL-コレステロール)が140~160くらいで、基準範囲の上限を超えることが常態化していた。一方、善玉は不足気味でせいぜい31~33、時に20台に落ちることもあった。これは基準範囲の下限を下回っていた。そのため薬は服用していた。  2か月に一度の検査結果が出た直後はコレステロールの多いイカ、タコ、肉、たまご、甘いものなどを節制することはあっても、そのうち警戒心が緩んでしまう。もともとそういうものが好きだった。  タバコは一切吸わなかったが、アルコールに関しては、なんでもござれのオールラウンドプレイヤーで、毎日欠かすことはなかった。これは入院前日まで続いた。 「週に二日は休肝日を設けなさい」と言われたが、「量を減らせばいいんでしょ」と言って忠告に従わなかった。  肥満に関しては、体格指数(BMI)は24くらいだった。この数値は体重(kg)を、メートル単位で出した身長の2乗で割ったものだが、身長1.61ⅿのボクが64kgのときに24くらいである。  一般に25以上が肥満だから、ボクは肥満とはいえない。もちろんもう少し痩せた方がいいと言われたこともあったが、生命保険会社の調査では太り気味の方が長生きするというデータもあるので、「オレは丁度いい」と思い込んでいた。

致命的でない点が「致命的に」

 血圧にしても脂血症にしても肥満にしても致命的な数値ではない。致命的な数値だったらボクも真剣に対応したかもしれない。そこがボクの甘さだった。甘さゆえの生活習慣病だった。  もう一つ、ストレスについては、若いころはA型タイプの面もあった。A型というのは生真面目一途みたいな性格の類型で、例えば完璧主義、几帳面、外部の評価を気にするタイプだ。  こうしたストレスにつながる精神面の特徴は心疾患にとって大きな危険因子だという。フリーライター香取章子さんの『突然死!』という闘病記を読んだが、香取さんには血液検査で引っかかるようなものはなく、それでも心筋梗塞に襲われたのはA型タイプのせいだったようだ。  年を経たボクはA型どころか、データを甘く見る杜撰なところが災いした。

甘さが招いた心臓病

 今考えれば40~50才代から心疾患は進行していたのである。健康自慢をしていたころ、気のゆるみの間隙をぬって病魔が巣くい始めたのである。臓器別でいえば死亡率1位は心臓病である。  間一髪、あの世行きを免れ、こうして半生の反省記を書いている。反省の必要性など無いに越したことはないが、今は反省せずにいられない。  世間には心筋梗塞の闘病記はあっても、ボクのような狭心症の闘病記などお目にかかったことがない。感動もなければ切迫感、壮絶感もない。地味そのものである。地味な反省だが、幸い命をつなぎ得たボクとしては若い人にぜひ聞いてもらいたい。 「反省の要なき半生」こそ幸せな人生の第一歩である。 協力:東京慈恵会医科大学附属病院 【境政郎(さかい・まさお)】 1940年中国大連生まれ。1964年フジテレビジョン入社。1972~80年、商品レポーターとして番組出演。2001年常務取締役、05年エフシージー総合研究所社長、12年同会長、16年同相談役。著者に『テレビショッピング事始め』(扶桑社)、『水野成夫の時代 社会運動の闘士がフジサンケイグループを創るまで』(日本工業新聞社)、『「肥後もっこす」かく戦えり 電通創業者光永星郎と激動期の外相内田康哉の時代』(日本工業新聞社)。
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