病院食は治療食[楽しくなければ闘病じゃない:心臓バイパス手術を克服したテレビマンの回想記(第10話)]

ある日の病院食・それぞれの患者に合わせたスペシャルメニュー

ある日の病院食・それぞれの患者に合わせたスペシャルメニュー

味気のない病院食


 入院して2日目から病院食のお世話になった。初めて食べる病院食は、会食で口にする料理とは当然比べるべくもないが、我が家で食べるそれと比較しても頼りないものだった。量は少ないし、味気がしない。

 ある朝に出たロールパンは無塩で小ぶりだし、ジャムも一回付ければなくなってしまうような少なさ。主菜の野菜ソテーはさすがに多彩な食材が使われていたが味にパンチがない。それに牛乳とオレンジが付いていた。

 昼には鶏ガラスープで豚肉入りの赤みそ系味噌ラーメンとツナ入りマカロニサラダとバナナ。夜は白米ご飯、かき玉汁、カラス鰈のムニエル、ふろふき大根などだった。

塩分6gエネルギー1440Kcal


 それでも文句を言う余地はなかった。栄養部管理栄養士の福士朝子さんから紙を渡され、クギを刺されていたからである。「入院中のお食事のご案内」という紙には「一日塩分量6ℊ未満、エネルギー1440Kcal」とあった。

 それまでボクは健啖家で通っており、正確に測ったことはないが1日のカロリー摂取は2000Kcalを下ったことはないのではないか。塩分については気にしたこともない。ところがこの「ご案内書」によると、味噌汁は1杯で、タクワン5切れで、アジの干物は一枚でそれぞれ塩分2ℊとあった。

 ふつう、家での夕食はこれに加えて野菜炒めとか納豆、モズクなど2~3種類加わるので1回の夕食だけでも6gをはるかににオーバーする。在宅時の一日の食生活を正直に話したら、塩分に関して13ℊ以上摂っているといわれた。

 ボクはタバコも吸わないし、最近はストレスに悩むこともない。ただ一つ、食生活に関しては20代から70代にわたる半世紀間、ボク特有のこだわりの食生活があった。

 とにかく品種をたくさん摂るということである。一日30種を目途とした。総量や塩分、バランスに関する意識は薄かった。それが結果的に動脈硬化を促進し、血管を詰まらせ、冠動脈にバイパスまで作らなければならなくした。

 その意味で生活習慣病の典型だった。諄々と話す福士さんの話を聞いていて、意識改革が必要なことを痛感した。半世紀にわたって続いたこの習慣を正さなければ、いくら手術を受けたって、健康に戻れないことを悟らざるを得なかった。

病院食の食後感


 意識が変わるとボクはあまり後戻りはしない。その後は病院食の中に、楽しみや口福を見つけようとした。毎食ごとに感想文を書いた。

 特に麦ごはんが出たときなどは慈恵医大を創った高木兼寛博士の偉業にまで触れた。栄養部を「ジケイレストラン」と称してシェフならぬスタッフを激励もした。

 あまりに熱心に書いたせいか、栄養部のKさんとSさんが病室に取材に見えた。ボクは得意になって、海軍の軍医監でもあった高木学祖が海軍から脚気を追放するために麦飯を導入し、それが海軍カレーにつながったことを話した。

 もちろん御両人はつとにご存じの様子であったが、黙って聞いてくれた。なぜボクがそんなことを口にしたかというと、2年前に出した拙著で、電通の創業者が若いころ、高木博士に救われたことについて触れていたからである。高木博士なかりせば今の電通は無かったと言っていい。

 病院食の後日談だが、ボクは福士さんに病院食の考え方について質したことがある。福士さんは心疾患患者の食事を担当しているのだが、この群の患者にとって食事こそ治療の第一歩であり、病院食は治療食だという。

 それぞれの病状に合わせて食事を出しており、すべてエビデンス(医学的根拠)に則っているという。そんな彼女もボクが全く食欲を失い脱水症状に陥っていた時には「メイン」という栄養ドリンクを添えてくれ、「これだけでも飲んでいればそのうち回復しますよ」と言ってくれた。

 それにしても長年食生活にこだわったボクが、良かれと思って実践していたそのこだわりのために動脈硬化に至った経緯は、浅慮の結果だったと言わざるを得ない。反省の極みだ。

「ならぬこだわり、避けよ独善」である。特に食に関する独善は「毒膳」になりかねない。

協力:東京慈恵会医科大学附属病院

【境政郎(さかい・まさお)】
1940年中国大連生まれ。1964年フジテレビジョン入社。1972~80年、商品レポーターとして番組出演。2001年常務取締役、05年エフシージー総合研究所社長、12年同会長、16年同相談役。著者に『テレビショッピング事始め』(扶桑社)、『水野成夫の時代 社会運動の闘士がフジサンケイグループを創るまで』(日本工業新聞社)、『「肥後もっこす」かく戦えり 電通創業者光永星郎と激動期の外相内田康哉の時代』(日本工業新聞社)。




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