【連載小説 江上剛】玄関を開けると妻・小百合が立っていた……「あなた、どこにいたの?」 【一緒に、墓に入ろう。Vol.7】

メガバンクの常務取締役執行役員にまでのぼりつめた大谷俊哉(62)。これまで、勝ち馬に乗った人生を歩んできたものの、仕事への“情熱”など疾うに失われている。プライベート? それも、妻はもとより、10数年来の愛人・麗子との関係もマンネリ化している。そんな俊哉が、業務で霊園プロジェクトを担当している折、田舎の母の容体が急変したとの知らせを受ける。
順風満帆だった大谷俊哉の人生が、少しずつ狂い始める……
「墓じまい」をテーマに描く、大人の人生ドラマ――

第一章 俺の面倒は誰が見るの?Vol.7


「あなた、いったいどこにいたの?」

玄関ドアを音もなく開けたのに、その場に妻の小百合が立っている。
パジャマは着ていない。ユニクロのラフなセーターを頭からすっぽりかぶり、下はしまむらのパンツ姿だ。

「お前、寝ている時間じゃないのか」
いつも床暖房の効いた部屋で夕食後に一通りニュース番組を見ながらキャスターやコメンティターに馬鹿、くだらないコメントするななどと文句を言った後、10時ごろには眠りにつくのだ。
だからたいてい俊哉が帰宅する頃にはベッドの中で趣味のゴルフの夢を見ているはずだ。

「田舎の清子さんから電話があったのよ」
清子は俊哉の妹だ。俊哉は、長男である自分と長女である清子の二人兄妹。清子は、結婚し、実家の隣町に住んでいる。性格はきつい方だろう。なんでもポンポンとはっきりと言う。そのせいか小百合とはあまり気が合わない。
「なんだって?」
清子が電話してくるのは、母のことに違いない。
母の澄江は、八十六歳で実家に一人で暮らしている。幸いなことにボケてはいない。しかし三年前に肺癌が見つかり、余命は三か月と診断された。
澄江から「手術はどうしたらいいかね」と相談を受けた。清子は手術すべきと主張したが、俊哉は「やめた方がいい」と言った。
理由は簡単だ。
八〇歳を過ぎた体にメスを入れて、ベッドに寝た切りになるより、癌と上手く付き合いながら畑仕事でもした方が良いと考えたのだ。
「私、そうするわ」と澄江はあっさりと俊哉の考えに同意し、手術をしなかった。畑仕事をしたり、近所の人たちと旅行を楽しんだりしているうちに癌のことなどすっかり忘れて三年が過ぎてしまった。
高齢者の癌は進行が遅いと聞いたことがあるが、治ってしまったのではないかと思ったくらいだ。

「インフルエンザじゃないかって思うのだけど、気分が悪いって入院したのよ」
小百合が深刻そうな表情で言う。
「ああ、それなら大丈夫だよ。ただの風邪だろ」
持っていた鞄を差し出す。小百合はそれを受け取りながら、「違う感じね。お母さんが、あなたに会いたいって。清子さんもひょっとしたら今度はダメじゃないかって言うのよ。電話口で『兄ちゃんに早く帰ってきて』って大きな声で」と顔をしかめ、耳を手で抑えた。
「そうか。よく頑張ったからな。お袋も」

俊哉は、コートを脱ぎながらリビングに向かう。

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「急いで連絡したのに、通じないんだから……」妻・小百合になじられ……

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