【連載小説 江上剛】妻・小百合がきつく言い放つ。「実家のお母さんと同じ墓に入るかと思うと寒気がするわ」【一緒に、墓に入ろう。Vol.8】

メガバンクの常務取締役執行役員にまでのぼりつめた大谷俊哉(62)。これまで、勝ち馬に乗った人生を歩んできたものの、仕事への“情熱”など疾うに失われている。プライベート? それも、妻はもとより、10数年来の愛人・麗子との関係もマンネリ化している。そんな俊哉が、業務で霊園プロジェクトを担当している折、田舎の母の容体が急変したとの知らせを受ける。
順風満帆だった大谷俊哉の人生が、少しずつ狂い始める……
「墓じまい」をテーマに描く、大人の人生ドラマ――

第一章 俺の面倒は誰が見るの?Vol.8


大谷俊哉の最初の配属は横浜支店だったのだが、この店は税関に出張窓口を持っていた。税関職員や港に出入りする人たちのための簡便な支店を設置していたのだ。
そこに小百合と俊哉は派遣され、関係ができた。都内の短大を卒業し、すでに実務のベテランだった小百合が、東京大学経済学部を卒業して入行した新人の俊哉の先生となったわけだ。
俊哉は決して器用な行員ではなかった。そろばんも電卓も上手に操作できず、何かと失敗をするのを姉さん的にカヴァーしてくれたのが小百合だった。
結婚したのは、俊哉が入行して二年を過ぎた時、俊哉二五歳、小百合二七歳だった。あれから三七が経つ。

「これからは気をつけるよ。コーヒーでももらうかな」
上着を脱ぎ、ソファに座る。
「こんな時間にコーヒーを飲んだら眠れなくなるわよ。そんなことより怪しいな」
小百合が首を傾げる。
「何が怪しいんだよ」
無視して、リモコンでテレビを点け、深夜のニュース番組を探す。
「浮気よ、浮気。あなた浮気してるんじゃないの?」
眉根に皺を寄せる。くっきりと額に溝が刻まれ、年齢を感じさせる。
「馬鹿いうなよ。こんなジジィをだれが相手するんだよ」
視線を向けずに答える。
「まあ、浮気してもいいけど、もしそんなことになったら、このマンションも預金も何もかも私がもらって、あなた裸同然で出なくちゃいけないわよ。覚悟してね。まあ、私としたらボケたあなたの世話をしなくていいから、浮気、大歓迎ね」
「おいおい、誕生日なのにおめでとうもなくて、ひどい言い方だな」
「なに言ってんの。せっかく」と小百合は言い「はい」と白い箱に金色のリボンをかけたものを差し出した。
「なに、これ?」
「誕生日のプレゼントよ」
「開けていいかい」
「どうぞ。せっかくケーキも買ったのに、明日、食べてね」
小百合の不満そうな様子の理由が分かった。ささやかに俊哉の誕生日を祝うつもりだったのに帰宅しないばかりか、清子の電話で心を乱されたからだ。
「ネクタイか」 
箱の中からは、イタリアの高級ブランドのネクタイが入っていた。ブルーを基調にした水玉模様の上品なデザインだ。
「いいでしょう。それを締めてしっかり働いてね」
小百合は、少し機嫌が戻ったのか笑みを浮かべた。
俊哉は、ネクタイを首元に当て、似合うかなと聞いた。小百合は似合うわよ、と答えた。

いい感じじゃないか。
古い関係の夫婦は空気のようになるというが、今、ここに漂っているのがまさにそれだ。波もなく、穏やかな空気……。
この感じもいい。これを大事にしないと安心した老後は送れない。
ふと、ネクタイを持つ手の指から麗子の香水の甘い香りを鼻に感じた。ドキリとした。

「なあ、お前、死んだら同じ墓に入る?」
ネクタイを箱にしまう。
「何を突然、変なことを聞いてどうしたの」
笑みを浮かべる。
俊哉は、今日の役員会での霊園プロジェクトの話題を説明する。
「そうね」と小百合は、小首を傾げる。
「そろそろ考える時期かもね。友達の間でも話題になるわ。主人の実家の墓にだけは入りたくないってね。私もそうよ」
「じゃあお前は実家のある横浜の墓に入るのか。あれは亡くなったお父さん、お母さんが買って、そこに入っているけど……」
「あれは弟のものよ。私は入れないわ」
眉根を寄せる。
「それじゃ、俺の実家の墓に入るしかないじゃないか。俺は長男だから……」
寝る前にアルコールを少し補充したくて、サイドボードからウイスキーとグラスを取り出す。
「絶対に嫌。あんな山奥のお墓には絶対に入りたくない。だって寂しいじゃないの」
眉間の皺がさらに深くなる。
「死ねば、終わりだよ。寂しいもなにもないさ」
グラスにウイスキーを注ぎ、そのまま口に運ぶ。舌先から喉にかけて焼けるようにアルコールの刺激が走る。
「理屈はそうだけど。あなた、一人で入ればいいんじゃない。私は、どこか別に……」
小百合は、上目使いになり「横浜の海が見える明るい高台にでも埋めてもらうわ」と言う。

「お前は横浜生まれだから、海が見えるのがいいんだな」
もう一口、ウイスキーを飲む。やはり喉が焼ける。
「私は、あなたより二歳も年上だし、早く死ぬから必ず約束してね、海の見えるお墓を頼んだわよ。あなたの実家のお墓は絶対に嫌だから。あのお母さんと同じ墓に入るかと思うと寒気がするわ」
小百合がきつく言い、ウイスキーとグラスを強制的に片づける。

<続く>

江上剛作家。1954年、兵庫県生まれ。77年、早稲田大学政治経済学部卒業。第一勧業(現みずほ)銀行に入行し、2003年の退行まで、梅田支店を皮切りに、本部企画・人事関係部門を経て、高田馬場、築地各支店長を務めた。97年に発覚した第一勧銀の総会屋利益供与事件では、広報部次長として混乱収拾とコンプライアンス体制確立に尽力、映画化もされた高杉良の小説『呪縛 金融腐蝕列島II』のモデルとなる。銀行在職中の2002年、『非情銀行』でデビュー、以後、金融界・ビジネス界を舞台にした小説を次々に発表、メディアへの出演も多い。著書に『起死回生』『腐食の王国』『円満退社』『座礁』『不当買収』『背徳経営』『渇水都市』など多数。フジテレビ「みんなのニュース」にレギュラーコメンテーターとして出演中(水~金曜日)

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