カネで読み解くビジネスマンのための歴史講座 「第30講・国家は国民の富を収奪する」

 ロバート・ウォルポール

ロバート・ウォルポール

ハイパーインフレはなぜ起きた? バブルは繰り返すのか? 戦争は儲かるのか? 私たちが学生時代の時に歴史を学ぶ際、歴史をカネと結び付けて考えることはほとんどありませんでした。しかし、「世の中はカネで動く」という原理は今も昔も変わりません。歴史をカネという視点で捉え直す!著作家の宇山卓栄氏がわかりやすく、解説します。

暗転

 1720年1月に128ポンドだった南海会社の株価が半年も経たないうちに、1000ポンドを越えました。この影響で東インド会社株や中央銀行のイングランド銀行株も急騰するなど、株式バブルが起こります。  株式市場の上昇に便乗するべく、無数の新興株式会社が乱立しました。この時の市場はまさに半狂乱状態だったのです。  政府はこの異常なバブル化を鎮静化するため、1720年6月「泡沫禁止法(Bubble Act)」を制定します。  南海会社の経営陣は8月、自社株を手放し、株価は下落しはじめました。バブル崩壊を危惧した投資家が一斉に株を売りに出し、株価の下落幅は拡がりました。今度は売りが売りを呼び、相乗的に株価が急落しはじめます。  南海株だけでなく、株価急落は他の会社にも及び、市場はパニックとなります。株価急落から逃げ遅れたのは一般市民で、破産者が続出しました。  投資に関し素人である文化人も逃げ遅れました。科学者アイザック・ニュートンは南海会社株で、2万ポンド(現在価値約1億円)の損失を被りました(図2参照)。
図2 南海会社株価

図2 南海会社株価

ニュートンは「天体の動向なら計算できるが、人間の狂気までは計算できなかった。」と述べています。音楽家のゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルも南海株で、500ポンドの損失(約250万円)の損失を被りました。

スキャンダル

   イギリス政府は南海会社によってバブルを仕掛け、財政の窮地から脱しましたが、そのツケはバブルに踊った一般市民が払う羽目になりました。結果として、詐欺的な手法で、国家が国民の富を収奪したことになります。  しかし、当時のイギリス政府にとって、このような収奪は必要悪でした。イギリスは大きく経済成長し、国民は富を蓄える一方で、国は対外戦争の出費がかさみ、困窮していました。  1688年、名誉革命を経て、市民政府を築いていたイギリスでは、強権的に増税を国民に押し付けることもできず、詐欺によって国民の富を奪うことくらいしか、方法がなかったのです。  経営実体のない南海会社の株価が高値を維持することができないことは明らかでした。それを分かっていながら、政府や南海会社は人々を煽りました。また、多くの政治家が南海会社から賄賂を受け取っていました。  この件に関し、政治家のスキャンダルが新聞で連日、報道され、激しい批判が巻き起こり、当時のホイッグ党政権は崩壊してしまいました。南海会社を設立したロバート・ハーリー(当時、財務大臣)は身の危険を感じ、国外へ逃亡しています。

会計監査制度の成立

   新たにホイッグ党のリーダーとなったウォルポールは事態を収拾するため、南海会社に対する調査委員会を議会に設けます。会計士のチャールズ・スネルは南海会社関連の会計監査報告書をまとめます。  この報告書が史上初の公式な会計監査報告書となり、以降、公正な第三者による監査評価を義務づける会計監査制度が成立していきます。  しかし、スネルの報告書は、帳簿上の改竄や証拠破棄などの疑惑については曖昧にした上で、関連会計を総じて適切と結論付けていました。スネルに監査を依頼したのは南海会社であり、スネルは到底、公正な第三者と呼べる存在ではなかったことについては留意が必要です。  真実の報告をすれば、疑惑が、政府中枢はもちろんのこと、王族にまで及ぶ可能性がありました。国王ジョージ1世の愛人が南海会社との資金の受け渡しの窓口になっていたようで、ウォルポールは疑惑調査を曖昧にしたまま、幕引きにしたのです。 【宇山卓栄(うやま・たくえい)】 1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。予備校の世界史講師出身。現在は著作家、個人投資家。テレビ、ラジオ、雑誌など各メディアで活躍、時事問題を歴史の視点でわかりやすく解説することに定評がある。著書に『世界史は99%、経済でつくられる』(育鵬社)。
世界史は99%、経済でつくられる

歴史を「カネ=富」の観点から捉えた、実践的な世界史の通史。

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