元気に正月を迎えたければ手術しかない[楽しくなければ闘病じゃない:心臓バイパス手術を克服したテレビマンの回想記(第13話)]

文字通り命の恩人・儀武路雄(慈恵医大心臓外科医長)先生

文字通り命の恩人・儀武路雄(慈恵医大心臓外科医長)先生

うろたえていたのかな

 術前のレクチャーで儀武先生(心臓外科医長)は「来年のお正月を元気に迎えたければ、バイパス手術しかありませんよ」と言われたという。この言葉はボクの記憶からすっかり抜け落ちている。  以下は退院後のボクと連れ合いとの会話である。 「まささんは儀武先生のレクチャーの時はうろたえていたね」 「そんなことないよ。冷静なもんだったよ」 「ウソ。心ここにあらずという感じだったよ。頓珍漢な質問はするし、カテーテル治療にこだわったり……」 「そんなことはないよ。先生がカテーテルにもリスクがあると言うからどんなリスクなのか聞いただけだよ。ステント(金属製の筒)を冠動脈内に置いても詰まりの原因になることもあるって話だってちゃんと理解したよ」 「その辺はちゃんと覚えてるんだ」 「当たり前だよ。ボクがショックだったのは胸を観音開きにするって聞いた時だよ」 「胸を開かないと、心臓に手が届かないじゃない」 「それはわかるけど、胸を観音開きにするって、どうしてそんなことができるのか想像できなかったんだよ」 「私はね、先生が、来年のお正月を元気に迎えたいならば、バイパス手術しかありませんと言われたときに、本格的な対応しかないんだと思ったのよ」 「先生がそんなこと言ったの?」 「そうよ。その言葉聞かなかったの。専門的なことはわからないけど、まささんの心臓を根本的に治すにはそれしかないんだと私は悟ったのよ」  後日儀武先生に確認したら、この言葉の大切な点は「元気に」というところにあるという。心臓手術の意図は機能回復にある。心臓は治せばよく働く臓器である。そのための手術は積極的に受けた方がいいというのが先生の見解だ。

大手術だが難しい手術ではない

 恥ずかしながら、そのとき儀武先生がどう表現をされたのか覚えていない。しかし、間違いなくそうした趣旨のことを言われたのだろう。今から考えるととてもわかりやすい表現だ。  連れ合いは脳外科医の娘である。その感が働いてバイパス手術しかないと決断したのだろう。こうした重要な同意(インフォームドコンセント)が求められるような時には当事者のボクよりは客観的に見ているに違いない。  柳田邦男は『元気が出る患者学』の中で、インフォームドコンセントについて「誠実な情報の提供が大切」だとしている。もっともな指摘で、ボク自身、入院中も退院後の検査でも慈恵医大病院は誠実に情報を提供してくれたと思っている。  しかし、患者は医師に比べ、疾病に関する知識・情報・知見の豊かさにおいて月とスッポンほどの差がある。説明書も長い。説明書をよく読んで、気が変わった時には同意を取り消すこともできる。  先生方の説明に関しても、細かい点はわからなくても全体の趣旨は理解できた。だから、自分のバイパス手術に反対の気持もなかったし、それでしか命をつなげないのだなということも理解していた。  しかし、観音開きにされるのはボクである。連れ合いにはその気持ちの動揺が逡巡しているように見えたのかもしれない。

開けてびっくり傷み箱

「手術は大手術には違いないけど、難しい手術ではありません。観音開きにした胸はもとに戻し、針金で止めます。きちんとくっつくには2、3か月かかかります」と儀武先生は締めくくった。  こうしてボクは3通の同意書にサインした。しかし、予期せぬ出来事は起きるものである。予想以上に「開けてびっくり傷み心臓」だった。  造影剤を入れて丹念にチェックはされたが、それはあくまで造影剤の状態を通してみる観察である。血管の壁の状況などはわからない。それを儀武先生の眼は見逃さなかった。  ナイチンゲールは、看護では正確・綿密・機敏な観察が絶対的に不可欠だという。医療全般もそうだろう。 直視に勝る観察はない。 協力:東京慈恵会医科大学附属病院 【境政郎(さかい・まさお)】 1940年中国大連生まれ。1964年フジテレビジョン入社。1972~80年、商品レポーターとして番組出演。2001年常務取締役、05年エフシージー総合研究所社長、12年同会長、16年同相談役。著者に『テレビショッピング事始め』(扶桑社)、『水野成夫の時代 社会運動の闘士がフジサンケイグループを創るまで』(日本工業新聞社)、『「肥後もっこす」かく戦えり 電通創業者光永星郎と激動期の外相内田康哉の時代』(日本工業新聞社)。
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