カネで読み解くビジネスマンのための歴史講座「第31講 ・イギリス国債はなぜ売れたのか」

 ヘンリー・ぺラム

ヘンリー・ぺラム

ハイパーインフレはなぜ起きた? バブルは繰り返すのか? 戦争は儲かるのか? 私たちが学生時代の時に歴史を学ぶ際、歴史をカネと結び付けて考えることはほとんどありませんでした。しかし、「世の中はカネで動く」という原理は今も昔も変わりません。歴史をカネという視点で捉え直す! 著作家の宇山卓栄氏がわかりやすく、解説します。                   

議会のコントロール

 1721年、ウォルポールはジョージ1世の信任を得て、首相に就任します。ウォルポール政権は1742年まで続く超長期政権となります。ウォルポール時代に、南海会社の失敗を反省し、国債の償還や利払いの財源として、新税が創設されることの取り決めなど、綿密な制度設計や法制の整備がなされます。  以降、イギリス国債は議会により、その発行や償還がコントロールされ、意思決定の透明さを確保していきます。また、議会は予算の審議をおこない、これを管理しました。  他の国の債券は王政によりコントロールされ、その意思決定が恣意的で不透明であり、投資家にとって、リスクは大きかったのですが、イギリスの政治は議会により開かれ、外部からも動向が見えやすく、投資家に判断材料を多く提供しました。  フランスが国債を議会の管理として、法的な位置付けを整備し、市場に流通させはじめたのは19世紀半ばからです。なお、ドイツや日本は20世紀からです。  イギリスは投資家の信用を得て、国債市場を発展させ、全ヨーロッパの富裕層から投資金を集めました。ヨーロッパの国々の中でもイギリス国債の人気が圧倒的に高く、イギリスにマネーが大量に流れ込みました。  イギリスは豊富な資金・資本を新たな市場開拓へと振り向けるべく、積極的に海外進出をし、世界各地を植民地経済に編成していきます。

コンソル債

 様々な種目の国債が発行され、その財源となる税項目も、広範に及び煩雑となったため、1752年、首相のヘンリー・ぺラムはそれらの種目の国債を、償還期限のない国債に統合する措置をとりました。  統合(=コンソリデート)ということから、この新しい国債は「コンソル債(Consols)」と呼ばれるようになります。国債の法的な位置付けが明らかとなり、「コンソル債」の取引は活発化して、流動性が飛躍的に高まりました。  イギリスはかつてのように、王朝の交代もなく、国家と国民が財政的に結び付き、永続的に経済協力する、いわゆる近代の「国民国家」へと変貌していきました。

責任ある税負担と財政への危機意識

 こうした優れたイギリスの資金調達システムがフランスとの植民地争奪戦やナポレオン戦争での勝利をもたらします。フランスはイギリスのようなシステムを持たず、常に資金難に苦しめられました。イギリスは、信用力をめぐる戦いに勝ったと言えます。  イギリスの「コンソル債」の金利は当時、おおよそ3~5%で推移していたのに対し、フランス王室が発行する国債は6~7%で推移していました。フランスは、イギリスよりも高い資金調達のコストを支払っていたのです。  イギリス国債が低金利を保ち続けることができた理由は、その運営の透明性が議会によって確保されていたことだけではありません。イギリスは国民に重税を負担させて、財政のプライマリー・バランスを維持していました。これがコンソル債の金利が低く抑えられていたことの最大の理由でした。  ナポレオン戦争時代の1793年以降、イギリスの軍事費は政府予算全体の61%を占め、財政支出が拡大しています。しかし、イギリスは当時、高い税負担を課しており、対GDP租税収入割合は12%台で推移しています。  経済史家パトリック・オブライエンによると、この水準は、フランス王室がフランス革命前に、国民に課していた極端な重税と同じでした。  イギリスはかつての南海会社のような詐欺的な手法を二度と使うことはなく、真正面から国民に税負担を課して、財政危機を克服していきます。 【宇山卓栄(うやま・たくえい)】 1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。予備校の世界史講師出身。現在は著作家、個人投資家。テレビ、ラジオ、雑誌など各メディアで活躍、時事問題を歴史の視点でわかりやすく解説することに定評がある。著書に『世界史は99%、経済でつくられる』(育鵬社)。
世界史は99%、経済でつくられる

歴史を「カネ=富」の観点から捉えた、実践的な世界史の通史。

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