世界文化遺産から読み解く世界史【第9回:ヒンドゥー教から仏教へ――アンコール】

アンコールワット

アンコールワット

廃墟としてのアンコール・ワットとアンコール・トム

 アンコールはカンボジアにある巨大な大石造伽藍が特徴の遺跡です。ここはかつてクメール王朝とアンコール王朝の都が置かれた場所ですが、いまは廃墟となっています。スールヤヴァルマン2世が30年あまりの歳月をかけて、東西約1.5五キロメートル、南北1.3キロメートルの都城アンコール・ワットを建設しました。アンコール王朝は12世紀から13世紀に最盛期を迎え、インドシナ半島の中央部をほとんど支配するほどの力を持ち、26人の王を輩出したといわれています。ちょうど日本では平安時代末期から鎌倉時代にかかる頃です。  アンコール・ワットは、もともとはヴィシュヌ神を祭ったヒンドゥー教の寺院ですが、亡くなった王を神として祭る墳墓寺院でもあったとされています。周囲には環濠がめぐらされており、中央に三重の回廊に囲まれて、五つの尖塔のそびえる祠堂がつくられています。外周が800メートルにも及ぶ第1回廊には、神話や伝説にまつわる物語や戦闘場面が浮き彫り彫刻で表現されています。これは非常に質が高く、見事な表現力を示しています。私もじっくり見てきましたが、その生き生きとした姿は、芸術作品の領域に達しているといえます。  スールヤヴァルマン2世の死後、アンコール王朝はチャンパ軍の侵攻を受けるなど混乱しますが、ジャヤヴァルマン7世がそれを撃退し、アンコール・ワットの北にアンコール・トムを建設しました。アンコール・トムは、チャンパ軍の侵攻に備えた防衛機能を持った都城で、仏教徒であったジャヤヴァルマン7世はその中心に仏教寺院であるバイヨンをつくりました。  一方、アンコールの郊外には、「東洋のモナリザ」といわれる表情の豊かな女神像で知られるヒンドゥー教寺院のバンテアイ・スレイがあります。しかし、それとて日本の仏像彫刻と比べれば、深みがないといえます。技術は高いけれども深みがありません。女神像の微笑みは、同一のパターンが繰り返されているのです。 (出典/田中英道著『世界文化遺産から読み解く世界史』育鵬社) 【田中英道(たなか・ひでみち)】 東北大学名誉教授。日本国史学会代表。 著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『[増補]日本の文化 本当は何がすごいのか』『[増補]世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』『聖徳太子 本当は何がすごいのか』『日本文化のすごさがわかる日本の美仏50選』(最新刊=9月2日発売)ほか多数。
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