世界文化遺産から読み解く世界史【第14回:ローマ帝国・ビザンチン帝国・オスマン帝国の首都――イスタンブール】

アヤソフィア大聖堂(加工)

アヤソフィア大聖堂の聖母子のモザイク画

キリスト教からイスラム教へ

 トルコの首都イスタンブールは、かつてはコンスタンティノープルと呼ばれ、ビザンチン帝国の首都が置かれていた町でした。  1453年、そのビザンチン帝国が滅亡し、オスマン帝国の支配を受けることになりました。キリスト教国の首都が、イスラム教国の首都となったのです。それによって、キリスト教の様式で建てられていた建築物が、一斉に改造され、モスクに転用されることになりました。  イスタンブールもトレドと同じように、さまざまな文化が交流する都市だったのです。その歴史をさかのぼると、東西ローマが分裂した395年以降は、ビザンチン帝国の首都として栄華を極めていました。アヤソフィアという巨大な大聖堂もその時代につくられました。これはユスティニアヌス一世によってつくられたギリシア正教会の総本山でした。そしてこれも、1453年のコンスタンティノープルの陥落とともに、改築されたのです。壁や天井に描かれていたモザイク画はすべて漆喰で隠されて、そのかわりに、ミナレット(イスラム風尖塔)などが増築されました。そして、1930年には、トルコ共和国のアタチュルクによって博物館になりました。  イスタンブールは、アルハンブラ宮殿とは逆に、キリスト教からイスラム教への変遷の例ですが、これによっても、キリスト教とイスラム教の親近性ということを指摘することができるのです。  つまり、転用できるということは何かというと、キリスト教もイスラム教も一神教であるため、拝む対象を変えれば、建物そのものは同じ構造をしているということなのです。こういうことに気がつけば、この二つの宗教が対立する必要はないとさえ考えることもできそうです。

美術を受け入れなかった文化

 しかし、そこが逆にいうと近親憎悪を生むことにもなるのです。本来的に近い宗教ほど憎しみ合うということになります。  イスタンブールの基本的な様相というのは、イスラム教が共同宗教として非常に強い影響力を持っています。イスラム特有の共同体の一体感があります。  しかし、そのイスラム教が、文化をつくれない原因でもあるのです。つまり、個人宗教を受け入れない、美術を受け入れないということです。偶像やそこに表される人間性を拒む姿勢が、その文化から世界性を失わしめているということもあるのです。  こういうことを見てとることが、世界三大宗教の外にいる日本人の役割でもあると思われます。文化を客観的に見ることが重要です。  私たちは、世界文化遺産を、美しいもの、造型的に快いものとして観光で見て回るのと同時に、文化遺産が全体で表現しているものを、歴史的背景をふまえ、透視して見ることで、より多くの学びが得られます。 (出典/田中英道著『世界文化遺産から読み解く世界史』育鵬社) 【田中英道(たなか・ひでみち)】 東北大学名誉教授。日本国史学会代表。 著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『[増補]日本の文化 本当は何がすごいのか』『[増補]世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』『聖徳太子 本当は何がすごいのか』『日本文化のすごさがわかる日本の美仏50選』ほか多数。
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