【連載小説 江上剛】母の葬儀をきっかけに都会で暮らす兄、田舎の妹、嫁……噴出するそれぞれの思い【一緒に、墓に入ろう。Vol.14】
夢を諦め、田舎で嫁ぎ、子を育て孫にも恵まれた妹。一方、都会で大手銀行の役員になった自分は幸せなのか……
長男寛哉は結婚し、孫は出来たが、特別、孫と過ごす時間を持っているわけではない。自分の仕事が忙しいからだ。 娘の春子は、まだ独身で居候だ。派遣社員として働き、気楽なものだ。男と付き合っているようだが、なかなか結婚まで到達しない。来年は三十路になる。早くいい人を見つけて結婚しろというと、そのうちね、と笑うだけだ。 小百合は春子が家にいると、話し相手に困らないため、余り熱心に結婚を勧めない。このままずるずると母娘の関係を続けて行きそうな気配だ。 清子は、「兄ちゃんは出来がよかった」と言った。 確かに俊哉は、田舎の秀才だった。元々、頭がよかったのかもしれないが、それ以上に俊哉は、この田舎から脱出したいという希望を強く持っていた。 だからできるだけ故郷に関心を持たないようにしていた。その結果、東京大学に進学し、四井安友銀行というメガバンクの役員にまでなった。 もし、「出来がよくなかったら」故郷に残り、この家を守り、墓を守り、次の世代へとつなげていく役割を果たせたのではないかと思う。 俊直も澄江も、俊哉の希望を邪魔することはなかった。しかし、それは俊哉がどんなに遠くに行こうとも、長男としてこの家を、そして墓を守ってくれると信じていたからではないだろうか。 今、俊哉は、この実家や墓を守ることに関心がない。 こんなはずではなかったという思いが、澄江をして、小百合に対する「墓を頼む」という遺言になったのではないだろうか。 俊哉は、澄江の必死の思いを受け止めると、申し訳ないという気持ちになった。 それは同時に自分の幸せに対する考え方の揺らぎにも通じるものだった。 東京で出世する、それはイコール、故郷を捨てることだ。それが本当の幸せなのだろうか。故郷に根付いている清子の方が、根無し草の俊哉より数段も幸せなのではないだろうか。 「兄ちゃん、何考えているの?」 「ああ、そのぉ……、母さんもいろいろあったんだなと思ったわけ」 「そうよねぇ。でも母さんは女の幸せは、家を、墓を守ることだって思い定めたんじゃないかな」 「でも、それって諦めでしょう?」 小百合が抗議するような口調で言った。 その口調の厳しさに再び俊哉と清美が唖然とする。 「諦めなのかなぁ。お義姉さんだって横浜という都会育ちだけど、今の人と違って、女は家を守る、墓を守るって育ったんじゃないですか。だから母さんも兄ちゃんよりお義姉さんに遺言したんだと思いますよ」 「遺言、遺言って言わないでくれる? 重くなるから。でも清子さんの言う通りよ。私たちは、早く結婚して子供を育てて、家を守ることが女の使命とされていたわね。だから墓も実質的には私たち女が守るものだったんじゃないの。でもね、六〇歳を過ぎてね、子供も大きくなったら、考え方が変わっちゃった。私、もっと自由でいたらよかったんじゃないかって思うようになったの」 小百合は、俊哉を指さす。 「この人、銀行でまずまず偉くなった。お陰で私もそれほど苦労なく暮らさせてもらっている。でもそれでいいのかって思うのね。もっと自由で違う生き方があったんじゃないかって思うの。だから私、娘には何も言わない。好きにさせているのよ。もうあまりしばられたくない。私が先に死ねば、骨なんてどこにでも撒いてもらえればいいし」また俊哉を指さす。 「この人が先に死んでも、私、同じ墓には入りたくないわ。勝手にお父さんやお母さんと同じ墓に入ればいい。私は、どこか違うところを探す。死んでからもこの人に私の自由を縛られたくないから。だからこの家の墓には入る気がない。だからお母さんには悪いけど、墓は守れない。清子さんの好きにしていいわよ。このお家もね」 「この人」とはなんと他人行儀な表現を使うのかと俊哉は唖然としたが、小百合は、先ほどまでの憂鬱さを克服したのか、どこか端然としていた。 「あまり結論を急ぐなよ。俺もここの墓に入ると決めたわけじゃない」 俊哉が困惑して言う。 「兄ちゃん、何言いだすのよ。そんなことしたら、誰も墓を守る人がいなくなるじゃない。母さん、泣いちゃうよ」 清子が怒る。 「だから、お前が見てくれればいいじゃないか」 「私は、笠原家の嫁よ。大谷家からは出た身なのよ」 「少子高齢化の世の中だよ。無縁墓にしないためには一家で二つの墓の面倒を見てもいいだろう」 「都合よく少子高齢化を出さないでよ。ちょっと学があると思って。本当はね、四十九日まで毎晩、ずっとここで御詠歌を上げないと、母さん、成仏できないのよ。兄ちゃんは、もう明日、帰っちゃうんでしょう」 清子は本気で怒る。 「帰るさ。仕事だよ。こっちは忙しいんだ。御詠歌なんて毎晩、上げてられないよ。親父の時は、そんなこと言わなかったじゃないか」 御詠歌というのは、真言宗檀信徒が、詠じる巡礼歌というもの。西国三十三か所の寺が七五調の歌に盛り込まれ、仏事の際に独特の節回しで歌う。 俊哉も幼い頃から、耳になじんでいるのだが、四十九日までの間、ずっと詠じ続けるなどという風習は知らなかった。 「当たり前よ。父さんの時は、母さんがまだ元気だったじゃないの。だから母さんが、村の人たちと一緒に毎晩、御詠歌を上げていたわよ。時々、泣きながらね。兄ちゃんは、何も知らないし、いつも勝手なんだから、冷たいんだから。兄ちゃんは、子供の頃は勉強、大人になると仕事と言って、母さんのことなんかちっとも心配していないんだから。私が、時々、顔を出したけど、いつも話題に出るのは、兄ちゃんのことばかりなのにねぇ」 清子が目頭を押さえる。仏壇で俊直のために御詠歌を詠じる澄江の姿を思い浮かべて、感情を高ぶらせているのだろう。 「悪かったよ。お前に任せきりにしていたのを反省する」 俊哉は、渋面を浮かべて頭を下げた。 <続く> 作家。1954年、兵庫県生まれ。77年、早稲田大学政治経済学部卒業。第一勧業(現みずほ)銀行に入行し、2003年の退行まで、梅田支店を皮切りに、本部企画・人事関係部門を経て、高田馬場、築地各支店長を務めた。97年に発覚した第一勧銀の総会屋利益供与事件では、広報部次長として混乱収拾とコンプライアンス体制確立に尽力、映画化もされた高杉良の小説『呪縛 金融腐蝕列島II』のモデルとなる。銀行在職中の2002年、『非情銀行』でデビュー、以後、金融界・ビジネス界を舞台にした小説を次々に発表、メディアへの出演も多い。著書に『起死回生』『腐食の王国』『円満退社』『座礁』『不当買収』『背徳経営』『渇水都市』など多数。フジテレビ「みんなのニュース」にレギュラーコメンテーターとして出演中(水~金曜日)1
2
ハッシュタグ
ハッシュタグ
おすすめ記事