心臓リハビリ[楽しくなければ闘病じゃない:心臓バイパス手術を克服したテレビマンの回想記(第33話)]
心臓リハビリとは何ぞや
心疾患の患者には「心臓のリハビリが不可欠だ」ということを、術前術後、何回も聞かされた。 心臓リハビリとはなにをするのか、イメージをつかみかねていたが、リハビリルームに行ってみると、自転車こぎ(エルゴメーター)が5台とトレッドミル(自動歩行器)が1台あった。 それをこいだり、その上を歩いたりすることが心臓リハビリ(心リハ)だという。その間に血圧とか、心電図、心拍数をチェックするのである。そして患者にあった適切な運動方法や量を処方する。 運動は薬以上に心疾患患者にとっては有益であるそうだ。心リハの目的は運動によって、弱った心臓を鍛え、身体機能を回復させるところにある。 考えてみれば心臓という臓器は筋肉の塊で、全身に血液を送り出している。1分間に約70回、拍動し、全身に送り出された血液は30秒で心臓に返ってくる。 つまり心臓はポンプなのだ。その血液で身体各所の筋肉は栄養を補給され、その本来の機能を果たす。 適切な運動は各所の筋肉を鍛え、血流を良くし、結果的に心臓の機能そのものを強化する。だから、心リハというのは身体的なトータルケアということになる。 リハビリの開始は早ければ早いほどいいという。手術前には絶対安静を申し渡され、病室を出るときは「看護師さん付きの車いすで」と言われていたが、手術後は手の平を返すように「動け、歩け」の催促である。 心リハ室のリーダーは藤田吾郎理学療法士だが、顔はやさしく指導は厳しかった。 しかし、リハビリと言っても一般に言うリハビリとは大違いだ。亡妻は脳腫瘍のため、体の左半身にマヒが生じ、歩けなくなった。 なんとか自分で歩けるように、手の上げ下げとか、平行棒に頼りながら、自力歩行のために涙ぐましい努力を重ねていた。時に療法士の叱咤激励も飛ぶ。脳出血で倒れた甥のリハビリもそうだった。 歩行にしても車いす移動にしても見ているこちらが気の毒に思うこともあった。そこには常に悲壮感が漂っていた。 だが、心リハにはそういった切羽詰まった感じはない。無理をせず、息苦しくなったら休んでもいいし、自転車こぎできついと思ったらゆるくもしてくれる。 血圧や心拍数との見合いである。藤田先生はそのあたりの緩急のつけ方が上手だ。リハビリで脚が太くなった
リハビリをしていてボクは体の変化に気がついた。手術後1週間のころ、ボクの脚は持ち上げるとふくらはぎがダランと下がり、平たくてヒラメのような形だった。 しかし、1年後のそれはまるで太ったサバのようにまるまるとして固くなった。そのおかげで、心臓機能も安定してきて、速歩でも息切れや胸痛を起こすこともない。 心臓を含めた身体機能がだいぶ回復してきたのである。その様子がふくらはぎの充実ぶりに現れている。心臓リハビリは人生を救う
藤田先生はいう。 「ふくらはぎは第二の心臓です。脚の血液を心臓に戻す役割を果たしている。脚の強い人ほど、心肺機能の回復がいい」。ただ、太ければいいというものでもないらしい。 ボクは手術前、執刀医の儀武先生から、詰まった冠動脈をバイパスする素材として脚の静脈(大伏在静脈)を使うと言われたとき、「脚はどうなるのか」質した。 先生曰く「脚には静脈がたくさんあって、1本くらい抜かれても問題はおこらない。ただ脚は鍛えなければならない」とのこと。 ふくらはぎを鍛えると静脈血の心臓への戻りを助け、心臓の負担を軽くするということがものの本にあったが、ボクの右脚はそのことを証明している。 もちろん心リハ室の役目はそれだけではない。食事の指導が、一方にある。「運動と食事に注意して、人に頼らない健康寿命を延ばすこと」が心リハの目的だと藤田先生は言う。 「手術は命を救うもの。リハビリは人生を救うもの」(長山雅俊・「心臓リハビリ」)という意味が分かった気がした。 協力:東京慈恵会医科大学附属病院 【境政郎(さかい・まさお)】 1940年中国大連生まれ。1964年フジテレビジョン入社。1972~80年、商品レポーターとして番組出演。2001年常務取締役、05年エフシージー総合研究所社長、12年同会長、16年同相談役。著者に『テレビショッピング事始め』(扶桑社)、『水野成夫の時代 社会運動の闘士がフジサンケイグループを創るまで』(日本工業新聞社)、『「肥後もっこす」かく戦えり 電通創業者光永星郎と激動期の外相内田康哉の時代』(日本工業新聞社)。ハッシュタグ
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