世界文化遺産から読み解く世界史【第21回:ロマネスク=イスラム化の時代――サンティアゴ・デ・コンポステーラ】

サンティアゴ・デ・コンポステーラ(縮小)

サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂

レコンキスタ(キリスト教回復運動)の代表的聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラ

 キリスト教ヨーロッパの誕生期には、盛んにロマネスク建築が建てられました。例えばフランスのブルゴーニュ地方のヴェズレーにあるサント・マドレーヌ聖堂です。これは丘の上に建てられています。とても素朴なつくりですが、キリスト教の教会堂として、典型的なロマネスク様式、アーチ型の壁の厚い、彫刻の多い教会堂になっています。  その浮き彫り彫刻は、繊細にして生き生きとしたキリストの像を表現しています。また、よ く見るとアーチ状の建築が、イスラム建築に類似していることがわかります。    ヴェズレーもそうですが、フランスの多くのロマネスク建築は、スペインにあるサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路である街道筋につくられています。サンティアゴ・デ・コンポステーラはスペインの大西洋側にある都市で、スペインがイスラム教の統治を受けていた時代に、レコンキスタ(キリスト教回復運動)が起こされる過程で、キリスト教徒にとって、重要な巡礼地となった場所です。  サンティアゴ・デ・コンポステーラのサンティアゴとは聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)の意味で、そこにキリスト教の十二使徒の一人である聖ヤコブの遺骨が9世紀の初めに発見されました。それをきっかけに聖堂がつくられ、形成された町がこのサンティアゴ・デ・コンポステーラです。  聖堂は872年にアルフォンソ3世によって改築され、10世紀末にはイスラム軍の攻撃を受けました。しかし、アルフォンソ6世の時代に再建され、1128年、聖ヤコブの大聖堂として完成しました。大聖堂の正面の栄光の門を見ると、この聖堂がロマネスク様式の典型であることがわかります。  いまでこそ、フランス、スペイン、ドイツというように、国別に文化を見ようとするわけですが、このロマネスクの時代は、ヨーロッパにはだいたい同じような文化が各地にあって、国別に見ることができないぐらいキリスト教文化としての統一性を持っていたのです。    このサンティアゴ・デ・コンポステーラに多くの人が巡礼するようになり、巡礼路がつくられました。パリから出発して、オルレアン、トゥールを通ってピレネーの西端を通っていくルートや、ヴェズレーからリモージュを通り、ピレネーの西に向かうルート、それからリヨンから始まってル・ピュイ、あるいはモアサックなどを通っていくルートなどです。

イスラム教の影響を受けているロマネスク様式

 このロマネスクというのは、ローマの文化を模倣した様式という意味でつけられた名前ですが、私は「イスラム化(モサラべ化)」というふうにとらえたほうがいいと思うのです。  スペインは、イスラム勢力の支配を受けていた時期が比較的長くありました。その頃はイスラム文化のほうがある意味で進んでいたということがいえるわけで、それは建築だけではなく、文化そのもの、あるいはギリシアの知識もイスラム経由で伝えられていたのです。  そのスペインに向かって行く巡礼路、その道筋につくられるロマネスク建築が、イスラム文化の影響を受けていたというのは、むしろ自然なことでした。  例えば、修道院建築があります。これは中庭が非常に美しいわけですが、この様式はイスラム建築からきたといわれています。  イスラム教の宗教施設は、砂漠や荒地の中に建てられたわけですが、緑地や水を求めていたために、泉を中心に中庭をつくるという形式をとったのです。それが、キリスト教のロマネスク様式で建てられた修道院の中庭に反映しているのです。 (出典/田中英道著『世界文化遺産から読み解く世界史』育鵬社) 【田中英道(たなか・ひでみち)】 東北大学名誉教授。日本国史学会代表。 著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『[増補]日本の文化 本当は何がすごいのか』『[増補]世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』『聖徳太子 本当は何がすごいのか』『日本文化のすごさがわかる日本の美仏50選』『葛飾北斎 本当は何がすごいのか』ほか多数。
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