世界文化遺産から読み解く世界史【第22回:ゴシックの誕生――シャルトル大聖堂】
ゴシックはそもそも何から生まれてきたか
その後、ゴシックという様式が現れます。このゴシック様式によって初めて、ヨーロッパは自分自身の文化を持ったといっていいと思います。それは12世紀から13世紀にかけてです。 ゴシック様式の発生についてはさまざまな説がありますが、フランスのシャルトル大聖堂を、その最初の代表的な教会堂だといっていいと思います。 シャルトル大聖堂は、パリの南西約90キロメートルのところにあります。もともとここには泉がありました。ここに聖母マリアに捧げられた聖堂が建てられ、度重なる火災によって、再建、修復が繰り返され、現在の大聖堂が建てられたのは1219年のことです。大聖堂の中の身廊は、幅が16.4メートルで、天井の高さは36.5メートルもあります。 聖堂の正面には有名な「王の扉口」があります。その「栄光のキリスト」とよばれる彫刻は、ゴシック彫刻の最初の傑作といえます。 ステンドグラスも有名で、総数は173個にのぼります。その薔薇窓はたいへん美しいものです。 このゴシックという様式が、何から生まれたかということですが、ヨーロッパ独自の森林に根差しているように思われます。キリスト教によってつくられたヨーロッパ文化
ゴシックは非常に高さがあります。そこにも、「山をつくる」という人間の原初的な欲求が働いていると思われますが、尖塔アーチの非常に高い塔をつくるわけです。 ゴシック建築の建物は、まるでヨーロッパの森林を思わせるのですが、その荘厳さにキリストという神を求める信仰が重なることで、生まれた美意識だと思われます。 壁から光を採り入れる薔薇窓も、まさにそうした世界観をつくり出していると考えられるのです。 いずれにしても、ヨーロッパにおいて、キリスト教がいかに文化の創造に重要な役割を果たしているかが、こうした聖堂から如実に感じ取ることができます。どの都市に行っても中心には教会堂があります。そしてそこに文化の結晶としての彫刻やステンドグラス、壁画がつくられているのです。 そうした過程の中では、大聖堂を建てるのに市民たちは協力して働き、奴隷もいないし、強制労働もありません。市民自らがつくっていくというところに、文化というものがいかに人々の生活や社会そのものを支えているか、ということを改めて感じるのです。かつていわれていた封建制社会下の苦しんだ農奴たちなどという考え方は改められたほうがいいでしょう。 (出典/田中英道著『世界文化遺産から読み解く世界史』育鵬社) 【田中英道(たなか・ひでみち)】 東北大学名誉教授。日本国史学会代表。 著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『[増補]日本の文化 本当は何がすごいのか』『[増補]世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』『日本の戦争 何が真実なのか』『聖徳太子 本当は何がすごいのか』『日本文化のすごさがわかる日本の美仏50選』『葛飾北斎 本当は何がすごいのか』ほか多数。
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