同病者の闘病ぶりを参考に[楽しくなければ闘病じゃない:心臓バイパス手術を克服したテレビマンの回想記(第37話)]

森田写真

「森田満樹さん。病気無頓着のボクにいろいろと教えてくれた」

食事・運動・睡眠


 消費生活コンサルタントで食養に詳しい森田満樹さんの義父は60才のときに、心臓バイパス手術を受けた。森田さんはボクの勤める研究所が「そうけんくん」という食品表示事業でご指導いただいている方である。

 父君は身長175センチ・体重80キロ、肥満型(体格指数26.1)で、かつヘビースモーカーという特性は心疾患につながる危険因子に十分なり得るものだった。

 しかし、手術後は医者の言うことをよく守り、以降27年、長寿を全うした。森田さん達ご家族の配慮、協力、激励が大きかったことはいうまでもない。

 父君の闘病生活には3つの原則があった。

一つめは、食生活において、総カロリーと塩分の制限を重視し、三度の食事の構成を吟味したこと。薬もきちんと服用すること。
二つめは、運動を欠かさないこと。特にウオーキングの励行を実践したこと。
三つめは、適切に休養をとり、無理をしないこと。主として睡眠はしっかりとること。

 眠れないときは睡眠導入薬を服んだこともあった。ただ、ウオーキングをしっかり実践すればよく眠れたという。昼寝もいとわなかった。

 そうした生活のリズムが病状の回復に好影響となった。

 父君は75才までエンジニアとしてお仕事をなさっていたが、リタイア後は悠々自適の生活だった。しかし、万一の時のためにニトログリセリンは常に携行していた。

 ニトログリセリンは冠動脈を広げて、心臓への血流を良くする薬で、適時に使うと狭心症の発作を和らげる。ボクもカテーテル検査のときに、舌裏に含んだが心臓への血流確保にはてきめんの効果がある。

 父君は70才を過ぎて一時、冠動脈が詰まりかけて、カテーテルによるバルーン挿入、ステント装着等の内科的手術のお世話になった。ただし、お亡くなりになったのは梯子からの落下が原因とのことで、心臓疾患のためではない。

 ボクは森田さんの話を伺って、改めて意を強くしたが、やはり「病気が治るのは患者の努力だ」と思った。

 運動に関しては、ボク自身気を付けている。少なくとも歩数において一日一万歩を欠かさないようにしている。速歩などにも意識して挑戦している。

 睡眠については、昔から眠るということにあまり努力をしたことがない。睡眠自在という考え方だ。

 退院直後、睡眠導入剤を処方されたが、よく眠れたのであまりお世話にはならなかった。

 その後も同様である。夜目が覚めて眠れなければ、本を読むか数独に没入する。ベッド上は「獺祭(だっさい)」状態なので、読みたい本は手を伸ばせばすぐ届くところにある。

食生活のポイント


 ボクにとっての問題は食生活である。昔から健啖家といわれ、旨いといわれるものには目がなかった。

 酒についても同様で、鯨飲馬食とはいわないが、好きなもの、珍しいものは卑しいくらいよく口にした。嫌いなものは塩辛くらいだった。「ボクの幸福は口福のことだよ」などと言っていた。

 そうした生活態度だから、森田さんの父君の食生活は参考になるところが多かった。森田さんは、「一日の総エネルギー(キロカロリー)の摂取源のバランスが大切だ」という。

 炭水化物から50%、タンパク質から30%、脂肪から20%を取ることが理想的だという。ただし、1食ごとにそうすべきだというのではない。1週間くらいのスパンでこのバランスを守ればいい。

 1食の構成は、朝昼晩とも主食・主菜・副菜・汁物の4種構成という形にして、そのうえで先のバランスを保つように考える。慣れるとこの食事構成で自然にバランスが保てるようになるという。

 ボクはかねてから食ベ物にこだわりが多かった。品数多くということだが、実はバランスということを無視してしまっていた。

 こだわりが方向違いのものだった。それが結局心臓バイパス手術につながってしまったのである。

こだわりには常に落とし穴がある。

協力:東京慈恵会医科大学附属病院

【境政郎(さかい・まさお)】
1940年中国大連生まれ。1964年フジテレビジョン入社。1972~80年、商品レポーターとして番組出演。2001年常務取締役、05年エフシージー総合研究所社長、12年同会長、16年同相談役。著者に『テレビショッピング事始め』(扶桑社)、『水野成夫の時代 社会運動の闘士がフジサンケイグループを創るまで』(日本工業新聞社)、『「肥後もっこす」かく戦えり 電通創業者光永星郎と激動期の外相内田康哉の時代』(日本工業新聞社)。




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