さらばエアーズロック ある死亡事故の思い出

エアーズロックの登山道(縮小)

エアーズロックの登山道


アボリジニーの聖地エアーズロック(ウルル)

 オーストラリア大陸の中心部、レッドセンターと呼ばれる乾燥し赤茶けた大地にそびえ立つ巨大な一枚岩。エアーズロックという英語名がありますが、近年は原住民のアボリジニーの呼び名である「ウルル」が多く使われるようになりました。

 この巨岩はオーストラリア有数の人気観光地ですが、元々、アボリジニーの聖地です。その聖地に杭を打ち込み、大勢の観光客に登らせるのは冒涜だという話は昔からありました。しかし、エアーズロックが生み出す膨大な観光収入がアボリジニーの生活支援のための重要な収入源であったことも事実で、これまで登山が禁じられることはありませんでした。

 エアーズロック登山は多くの人の命を奪ってもきました。私も2度登りましたが、途中、一本の鎖だけが頼りで、フェンスもなく、転倒したら急こう配の岩肌を地上まで転落するしかない箇所もあり、途中で断念して引き返す観光客も大勢います。1950年代以降、少なくとも37人が登山中に亡くなったとのことですが、定期的に死亡事故のニュースを聞くので、もっと多いかと思ったぐらいです。

 そして、去る7月3日、76歳の日本人男性が登山中に倒れ、死亡したとのニュースが流れました。心よりご冥福をお祈りいたします。

 そのニュースを聞いて、蘇った記憶があります。あれは21世紀を迎えるほんの数年前、私自身が現地で出遭った死亡事故でした。

20年前に出遭った死亡事故

 当時、大学院での勉強を終えた私は、ある旅行会社で仕事をしていましたが、研修でエアーズロックを訪れていました。確か2月、南半球の真夏だったと思います。この季節、気温が40度に達する炎天下での登山は危険なので、登山ツアーは日の出前の朝4時から出発します。

 前述の鎖を握りながら、他の観光客と一列になって登っていると、前の方にいた日本人のおばさんがこちらを振り返って叫ぶ声が聞こえました。

 「気を付けてくださいね。ひとり落ちましたからね」

 何を言っているのかと思いながら登り続けると、途中、青いシートを被せられた日本人男性と思しき方が頭を下に向けて横たわっていました。顔色にすでに血の気がなく、さっきの叫び声はこの事故のことだったのかと悟りましたが、為す術もなく、レンジャーに任せて登山を続け、無事に頂上まで到達しました。下山中に同じ箇所を通ると、ご遺体がソリのようなものに乗せられ、地上に下ろす準備をしていました。

 下山して私が真っ先にしたことは、現地のガイドさんに、事故にあった人がどの会社のツアーで来たか確認することでした。しばらくして、ガイドさんが顔色を変えて走ってきました。なんと、私が勤めていた会社のパッケージツアーの参加者だったのです。

 その瞬間に私の研修ツアーは終了し、事故対応に変更されました。現地の警察に連絡をとり、状況の確認を行いました。ご遺体は北に約450キロ離れたアリススプリングスという街の病院で検死解剖されることになり、私も陸路アリススプリングスに向かいました。

ご家族の対面

 亡くなった方は、栃木県の小山市でふとん屋さんを営むご家族のご主人でした。商売の都合上、夫婦で揃って旅行できず、まず、奥様がツアーでシドニー、エアーズロックを回って帰国し、交代でご主人が同じツアーで訪れていたのでした。

 そのご家族の次女の方がシドニーでワーキングホリディ中で、ご夫婦は別々に娘さんに会っていました。

 そのご家族とご主人の兄弟が急遽日本からアリススプリングスに駆けつけてきました。私は現地の病院で、すでに検死が終わったご遺体を小部屋に安置し、カーテンで囲んで、遺族と対面する準備を整えていました。この時点でも、奥様に本人確認をして頂く必要がありました。

 固い表情で訪れたご遺族に、奥様からひとりひとり部屋に入って頂きました。まもなく、「お父さん!」という悲痛な叫びが聞こえてくるのを、部屋の外に立って背中で聞いていました。

文:山岡鉄秀(やまおか・てつひで)
1965年、東京都生まれ。中央大学卒業後、シドニー大学大学院、ニューサウスウェールズ大学大学院修士課程修了。2014年、オーストラリアのストラスフィールド市で中韓反日団体が仕掛ける「慰安婦像設置」計画に遭遇。子供を持つ母親ら現地日系人を率いてAJCN(Australia-Japan Community Network)を結成。その英語力と交渉力で、非日系住民の支持を広げ、圧倒的劣勢を挽回。2015年8月、同市での「慰安婦像設置」阻止に成功した。現在、公益財団法人モラロジー研究所道徳科学研究センター人間学研究室研究員。AJCN Inc.代表。『日本よ、情報戦はこう戦え!』(育鵬社)を刊行。




関連記事