朝鮮史講座…歴史に潜む反日の淵源「第8講:朝鮮独立を夢見た崔瑩」

崔瑩銅像(ソウル戦争博物館、著者撮影)

崔瑩銅像(ソウル戦争博物館、著者撮影)

北朝鮮の拉致・核問題の暴虐、韓国の執拗な反日政治、これらの異常さというのはいったい、どこから来るものなのか。著作家の宇山卓栄氏はその答えを、朝鮮特有の「歴史的隷属」に見出す。朝鮮半島は一時期を除き、約2000年間、中国の属国だった。中国への隷属は朝鮮人の心を蝕み、我々、日本人には考えられないような「精神の卑屈」を招いた、と宇山氏は説く。

明の洪武帝


 朝鮮のような属国にも、自分で自分の運命を決めなければならない時代がありました。元王朝に屈服して100年経った後、元王朝の勢力が衰え、新たに明王朝が台頭しました。

 旧勢力の元王朝に付くべきか、新勢力の明王朝に付くべきか、朝鮮は大いに悩み、揺れました。選択を誤れば、死あるのみです。

 14世紀後半、元王朝末期に大規模な民衆の反乱が起こり、この反乱のグループの中から朱元璋が頭角を現します。

 朱元璋は江南(中国南部)の漢人勢力を政権の基盤としており、モンゴル人勢力の元を北へ追いやり、1368年、明王朝を建国し、洪武帝を名乗ります。都は金陵(現:南京)に置かれました。

 朱元璋は貧農から身を起こし、反乱軍の中で人望を集め、天下を取り、皇帝になった人物です。

 紀元前3世紀末に漢王朝を建国した高祖劉邦も農民出身ですが豪農で豊かであったのに対し、朱元璋は水飲み百姓で、両親や兄弟を飢餓で亡くしたとされます。読み書きができず、成人して反乱軍に身を投じているときに猛勉強をしたようです。

元につく朝鮮


 朝鮮としては勢いのあった明に付くのが当然と思われますが、朝鮮の武人たちは敢えて、元に付くことを主張しました。なぜでしょうか。

 武人たちの狙いは高麗の独立復興でした。元と明の争いの混乱に乗じて、高麗を中国の支配から脱却させようと考えたのです。

 そのためには、できるだけ長く、そして激しく、元と明が泥試合をしてくれなければなりません。劣勢の元に、朝鮮がテコ入れして、明と戦わせようとしました。

 これは危険な賭けであり、成功する可能性は低く、一種の強硬策でした。武人たちの代表が将軍の崔瑩(チェ・ヨン)でした。

 崔瑩は倭冦の討伐などで功績があり、清廉な人物で民衆からの支持もありました。高麗がモンゴルの元王朝への従属を強いられてきたことに義憤を感じていた人物で、たとえ国が亡びることになっても従属よりも死を選ぶという武人特有の美学を持っていました。

 崔瑩らの強硬策に反発し、親明政策を取るべきと考えたのが「新進士大夫」と呼ばれる文人官僚たちでした。親明派は明の勢いを止めることはできない、明に逆らえば皆殺しにされる、そうなる前に、明へ服属するべきだと考えました。

官僚たちの論争


 現実的な路線でしたが、崔瑩からすれば敗北主義者に見えたことでしょう。中国の混乱は自立へのまたとないチャンスであり、この機を逃せば、朝鮮の隷属が続くと憂いたのです。重臣会議では、両派の討論が永々と続けられました。

 高麗時代の末期に、成釣館という研究機関が設置されました。科挙試験に合格した官僚たちがこの機関を運営し、国政に対し、大きな影響力を持っていました。

 成釣館官僚たちの代表が鄭夢周(チョン・モンジュ)でした。鄭夢周らは中国の情勢と実態を掴んでいたため、明に逆らうということが如何に無謀であるかを論じました。

宇山卓栄(うやま たくえい)
著作家。著書に『朝鮮属国史~中国が支配した2000年~』(扶桑社新書)。





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