朝鮮史講座…歴史に潜む反日の淵源「第15講:『朝鮮』を最初に言い出した男、鄭道伝」
権知朝鮮国事
李成桂に与えられた「権知朝鮮国事」という称号に「国」という表記があったとしても、「邦(くに)」くらいの意味で、それ自体にあまり意味はなく、朝鮮が一個の独立した国として、中国から認められたと解釈することはできません。 朝鮮側がこれを「国号」としたい意図はわかりますが、残念ながら、中国側はそういう扱いしていなかったのです。 韓国の教科書や概説書には、「朝鮮」は壇君以来の古朝鮮の伝統を受け継ぎ、そこに民族の独自性を求める意味が含まれているといった解説がなされます。たしかに、朝鮮側はそのような気概を込めていたでしょう。『高麗国史』を編纂した鄭道伝
「朝鮮」の使用を中国に打診してみるべきと最初に言い出した人物は鄭道伝(チョン・ドジョン)でした。鄭道伝は李成桂の参謀で、鄭夢周と同じく成釣館に属する親明派の文人官僚でした。 鄭道伝はかつて高麗が有していた遼東半島を朝鮮固有の領土と考え、遼東半島を奪い取るべきと考えていました。親明派とはいえ、朝鮮の自立を強く志向していたのです。 鄭道伝は1392年、李成桂の命により、『高麗国史』全37巻を編纂します。この史書は李成桂の国王としての正統性や朝鮮の自立を強調する内容で、明の不興を買う恐れがあり、太宗の時代に再編纂されます。 明の意向に沿う形で編纂が重ねられて、最終的に五代目文宗の時代の1451年に『高麗史』という形で完成します。 鄭道伝は事実上の宰相としても政治手腕を振るい、李氏朝鮮の行政統治機構の基礎をほとんど一人で築き上げました。 富国強兵により、中国に対抗する策を考えていたでしょうが、惜しいことに、李成桂の五男で後の太宗李芳遠(イ・バンウォン)との権力闘争に破れ、処刑されてしまいます。鄭道伝の死後、遼東出征を口にする者はいなくなります。 宇山卓栄(うやま たくえい) 著作家。著書に『朝鮮属国史~中国が支配した2000年~』(扶桑社新書)。ハッシュタグ
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