港の整備が「まち」を作る: 小名浜の港湾イノベーション6
「政府による港湾整備」がイノベーションを先導し続けた
これまで述べてきたことが、小名浜がたどった経緯であるが、その変遷では実にさまざまな要素が重要な役割を担った。 常磐炭田があったことやそれが閉鎖されたこと、大震災で原発が停止したこと、そして大電力消費地である首都圏に小名浜が電力供給可能な距離であったことなど、実にさまざまな条件や要因が、小名浜を今の小名浜に仕立て上げるうえで重大な役割を担った。 しかしそれらの条件はあくまでも、外的な要因に過ぎない。常磐炭田があっても、そこに「石炭積み出し港」を作らなければ小名浜は漁村のままで、数々の工場が立地することはあり得なかった。 常磐炭田が閉鎖された時に、「石炭積み出し港」に対して何の手も加えず、「石炭輸入港」として新たに作り替えることをしなければ、港は単に閉鎖され、小名浜がそれ以上発展することも、小名浜周辺の発電所がさらに増強され、首都圏の重要な電力供給基地となるようなこともなかった。 さらにいうなら、次世代の石炭火力発電所IGCCが、日本に誕生することすらなかったに違いない。 そしてこれからの未来においては、国家が小名浜港を「国際バルク戦略港湾」に選定せず、そこに日本最大の公共岸壁を作らなければ、日本はこれからそれが完成しさえすれば実現するであろう安価な輸送費の「1.6倍」もの高額の海上輸送費をかけて石炭を輸入し続けなければならなくなり、結果として、日本は長期的な経済ダメージを受け続けることになることは必定なのである。 つまり小名浜は、「政府」がその時代時代の状況変化に臨機応変に対応し、それぞれの時代で適材適所の「港湾投資」を図り続けたからこそ、ここまで「進化」し続けることができたのである。 言い換えるなら政府による港湾投資こそが、小名浜の港湾イノベーションを駆動し続けたのである。「ニーズ先行」がもたらす港湾イノベーション
ところで、それぞれの時代の港湾整備がそれだけ大きな力を発揮したのは、各時代の状況に適切に対応していったからに他ならない。 つまり小名浜の港湾イノベーションは、往々にしてイノベーションの「失敗」を導きがちな「シーズ先行」ではなく、あくまでも「ニーズ先行」によって展開されていったのである。 そこに炭田があり、それを輸送する「ニーズ」があったが故に積出港が整備された。その周辺に発電所や工場があり、大量の石炭の「ニーズ」があったからこそ、炭田閉鎖後、既存の積出港を活用する形でそこに石炭輸入港湾が再整備された。 さらには、首都圏に巨大な電力の「ニーズ」があったからこそ、それに対応するために発電所の立地がさらに加速していたのであり、それを支える石炭輸入のための埠頭整備がさらに加速したのである。 そしてもちろんこうして整備された港湾はさらなる「ニーズ」を喚起していく。その結果、さらなる港湾整備が求められる、という循環が展開される中、小名浜が加速度的に発展していったのである。 藤井聡著『インフラ・イノベーション』(育鵬社刊より) 著者紹介。1968 年奈良県生まれ。京都大学大学院教授(都市社会工学専攻)。第2次安倍内閣で内閣官房参与(防災・減災ニューディール担当)を務めた。専門は公共政策に関わる実践的人文社会科学。著書には『コンプライアンスが日本を潰す』(扶桑社新書)、『強靭化の思想』、『プライマリー・バランス亡国論』(共に育鵬社)、『令和日本・再生計画 前内閣官房参与の救国の提言』(小学館新書)など多数。ハッシュタグ
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