北方謙三「大水滸伝シリーズの本当の終息は俺が死んだときだ」
著者畢生の大作『水滸伝』シリーズが足かけ17年、全51巻をもって先頃完結した。ハードボイルド小説から大胆な解釈で綴った歴史小説まで多くの読者を魅了し続けてきた、作家・北方謙三。68歳になった今も創作意欲と性欲は衰えを知らず、「生涯現役」を豪語する。老いてますます血気盛んな国民的作家の衰えることなき創作意欲とそのパワーの源に迫った。
――まずは、51巻にも及ぶ壮大な物語を書き継ぐに至った理由についてお聞かせください。
北方:理由もなにも、書けちゃったんです。もちろん最初は特定の出来事をフックに書いていく。『水滸伝』の場合でいえば、北宋に対して梁山泊が起こした革命だ。けれど、出来事が終わった後も人間は生き続けるから、物語というものは本当の意味では完結することはない。作品ごとにいったんは幕が閉じられても、書き手の中では同じ世界観は継続しているんだ。物語に終息が訪れるとしたら、それは俺が死んだときだね。
――反体制の物語だった『水滸伝』、そこから国家建設の物語へと進んだ『楊令伝』に比べ、とりわけ『岳飛伝』では個人の生きざまにスポットが当てられています。
北方:小説っていうのは、最終的には人に収斂(しゅうれん)されるべきものだから。僕は日本史、中国史と、どんどん地域を広げて書いてきたけど、所詮すべては地球の上の出来事だといえる。ところが、人間の心は無限なんです。本当の広がりは、人の心の中にある。だからこそ俺は「男はどうやって生きるのか」「人はどうやって死んでいくのか」という物語を追求し続けてきたんだと思うよ。
――作中の英雄たちの散りざまも作品ごとに変わっている印象です。
北方:例えば『水滸伝』の死というのは、革命の戦いの中にあった。だからみんな華々しく散っていくんだけど、何げない日常の中にある死だってそれと等価値のはずなんだよ。『岳飛伝』ではそういう死を大事に描いたつもり。そういえば、サイン会に来てくれた読者の中に、「○○は死ぬんですよね?」って聞いてきた女のコがいてさ。「いいんです。もう覚悟はしています。だけど、病死だけはやめてください」ってお願いされた(笑)。結局その登場人物は、病を押して戦場に出て死んでいく形にしたんだよね。
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