日本の文化 本当は何がすごいのか【第3回:茶道と日本人】
千利休はキリシタンだった?
茶道をはじめた千利休(1522~1591)はキリシタンだった、という説があります。この説は茶室に注目したところから発想されたもののように思われます。 日本の家屋は壁などあまりなく開放的ですが、茶室は壁を立て、狭い空間を構成します。そして、腰を屈めなければ入れないにじり口、その密室性と秘密性がキリシタンにつながったのでしょう。そして茶室の中ではキリシタンの会話が交わされ、飲んだのは葡萄酒……。こうなると、茶室の密室性と秘密性への着目はいいとして、利休をキリシタンと結び付けるのは穿ち過ぎ、ということになってしまいます。茶道のはじまり
日本にはもともと、何人かが寄り集まって何かをする、という文化がありました。その何かは、連歌をつくったり俳句を詠んだり、談笑したり語り合ったり、といったことです。これは人の和をつくり出すことにもなりました。その中でお茶が飲まれました。ここに茶道の土台はあります。 お茶を飲む。この日常的な俗事の中にある美しさを見つけ出し、それを崇拝する。これを基にして趣味的な宗教的儀式に高めた。これは岡倉天心(1862~1913)の『茶の本』にある見方ですが、茶道のはじまりはこれに尽きるのではないでしょうか。 お茶を飲むという行為が一種の趣味的宗教的儀式に高められた茶道は、密室性、秘密性の高い茶室を備えることによって、濃密さを増していくことになります。外に漏れないということは自由な会話を可能にします。それは親密さを強め、そこに寄り合った人々を団結させ、人の和を高めます。茶道の儀式は趣味的宗教的な領域に止まらず、社会性を備えたものになっていくのです。岡倉天心は『茶の本』で、「純粋と調和、相互愛の神秘、社会秩序のローマン主義を諄々と教える」と述べていますが、まさにこのことを指しています。中国・日本・イギリスのお茶の文化
茶は中国から薬として伝わったとされていますが、日本では文化の粋を結晶したようなものになりました。また、中国発の茶はイギリスにも伝わって紅茶となり、ご存じのアフタヌーンティの習慣を生み出しました。そこに交わされる会話は、そこから社会性をつくり出すという機能を備え ています。これは案外、日本から伝播したものかもしれません。しかし、茶の発信元である中国では、ただお茶を飲むという行為があるだけで、儀式化したり社会性をつくり出したり、といったことはありません。文化の質の違いが際立って、面白いものだと思います。 明治以後になって喫茶店文化といったものが出てきますが、これはすでに茶道が定着していたことが土台になっているのでしょう。 人の和をつくり出すことを軸にして、お茶を飲むという日常の行為が、儀式に高められたり社会性を帯びてふくらんだりする。これは日本文化を考える上で重要なことだと思います。 (出典/田中英道著『日本の文化 本当は何がすごいのか』育鵬社) 【田中英道(たなか・ひでみち)】 東北大学名誉教授。日本国史学会代表。 著書に『日本の歴史 本当は何がすごいのか』『世界史の中の日本 本当は何がすごいのか』『日本史5つの法則』(いずれも育鵬社)ほか多数。
『日本の文化 本当は何がすごいのか』 世界が注目する“クールジャパン"の真髄とは |
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