障がい者スポーツの「容赦のなさ」に競技としての面白さを感じた【スポーツジャーナリスト生島淳】
もうひとつ刺激的だったのは、陸上を取材した時のこと。視覚障がい者の伴走者に話を聞いたのだが、その競技力の高さに驚いた。
もしも、パラリンピックのトラック競技やマラソンでメダルを狙うとしたら、伴走者は5000mを15分以内でカバーできる走力が必要だという。
マジで? と思った。このタイムは、大学で競技を続けられるくらいの実力がないと無理だ。箱根駅伝を走るようなランナーでないと、パラリンピックでは勝負にならないのである。なるほど、走者ではなく伴走者がガッツポーズする気持ちもわかる。
さらに取材を進めていくと、戦いの中で、精神的な揺さぶりや駆け引きが当たり前のように行われていることを知った。ある伴走者はいう。
「視覚障がい者の選手は、耳や感覚が頼りです。中には相手に視覚障がいがあることを利用して、選手と伴走者が『今日のペース、なんか遅すぎない?』とわざと聞こえるように話して動揺を誘ったり、ほかの選手にプレッシャーをかけることも珍しくない」
パラリンピック、障がい者スポーツと聞くと、何かクリーンなものを想像していないか? それは違う。海外ではドーピングに手を染めるパラアスリートもいた。健常者のスポーツと同じく、勝つためにはあらゆる手段を尽くす選手がいるのだ。
きれいな世界でも、かわいそうな世界でもない。激しい戦いが行われる世界なのだ。
障がい者スポーツは、競技力や選手のキャラクターによって、エンターテインメントとして成立する可能性を十分に持っている。
リオのパラリンピックで、その面白さをぜひとも発見してほしい。
【生島 淳氏】
スポーツジャーナリスト’67年、宮城県生まれ。メジャーリーグ、NBAなどのアメリカンスポーツ、ラグビー、水泳、陸上などを取材範囲としている。著書に『エディー・ウォーズ』(文藝春秋)などがある
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