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五輪柔道の「無差別級廃止は欧米の外圧」はウソ ヘーシンクに勝てない日本が階級制を推進した!?

無差別級を不要と言った日本が急に無差別級の尊重発言を行った怪

 ところが、「無差別を含まない」階級案をIJFに提出した日本ですが、1961年12月のパリIJF総会で「無差別を含む」4階級案が可決されると、急に無差別級尊重へと態度を変えます。  62年に入って、IOCの意向で東京五輪柔道競技には「同一選手が2つの階級に出ることは認められない」ということとなり、重量級選手は、無差別級と重量級のどちらに出るか二者択一を迫られることとなりました。  この時に嘉納履正講道館館長(IJF会長)はこのように発言しています。「無差別に出場する意志のないものはそれだけの実力がないと判断してよい。だから無差別級の優勝者は世界NO.1」(柔道新聞274号1962年3月20日)だと。  つまり、嘉納館長は無差別級に出ずに重量級に出る者は、世界最強を決める無差別級の舞台に出てこないのだから、その時点で「不戦敗」だと言っているのです。

ヘーシンクが五輪に出場できないと読んで日本の発言が変化?

 東京五輪無差別級はヘーシンクが出場すれば優勝することが濃厚でしたから、嘉納館長が「無差別級の優勝者は世界NO.1」と敢えて宣言することは、当時の日本柔道界にとっては広報戦略的にはマイナスでしかありません。にもかかわらず、何故このような発言をしたのでしょうか?  これは非常に深読みになります。  ヘーシンクは1960年のローマ五輪でレスリング・グレコローマンスタイル・ヘビー級に出場しようとしましたが、オランダ五輪委にプロと見なされエントリーを認められませんでした。  日本は「アマ規定は五輪全種目に適用されるので、レスリングだけでなく当然柔道においてもヘーシンクは五輪に出場できない」という確信を遅くとも嘉納発言の前までに掴んでいたのだと推測します。  ヘーシンクは62年5月に行われた欧州柔道選手権では「プロの部」なるヘーシンク用としか思えない奇妙な「お手盛り」のカテゴリーで2階級制覇(重量級・無差別級)していますので、前述の嘉納発言(62年3月)の際には既に「プロ認定」されており、東京五輪出場は風前の灯火であったと思われます。  さらにヘーシンクは63年5月の欧州選手権プロの部2冠達成後には「これを花道に選手生活から離れる。東京五輪に出ることはないだろう」(近代柔道 1982年11月号)と引退を表明しています(後日撤回)ので、彼自身がオリンピックに出場できない可能性が高いことを自覚していたのです。

結果的にヘーシンクの東京五輪出場を助けた形となった日本

 ヘーシンクさえ東京五輪に出られなければ、日本は無差別級の王座を獲れるという目算を立てていたでしょうから、嘉納館長の「無差別級の優勝者は世界NO.1」という強気の発言も辻褄が合います。  最終的にヘーシンクが東京五輪に出場できたのは、彼のアマ規定違反問題が、63年12月に日本の国会で取り上げられるなど国民的な関心事となり、「ヘーシンクの出場しない五輪柔道は意味がない」という日本の世論が噴出し、そういう声を受けてオランダ五輪委などが「ヘーシンクはアマチュア」と声明を出したことによります(ヘーシンクを育てた男 眞神博 文藝春秋 2002年12月)。日本は思わぬ形で「敵に塩を送った」ことになります。  1964年東京五輪の階級制導入は以上のように大変策略的なものであったと思います。  結果的に東京五輪では無差別級決勝でヘーシンクが神永昭夫を抑え込んで金メダルに輝いたのは皆さんもご存じの通りです。

東京五輪後も迷走する日本、ご都合主義の発言を繰り返す

 翌1965年10月にはブラジル・リオデジャネイロで第4回世界柔道選手権が行われ、大会直前のIJF総会ではまたひと悶着ありました。無差別級廃止論が出され決定しそうな情勢となったのですが、日本が「無差別の廃止は柔道の本質に反する」と反対に回ったのです(雑誌柔道 65年11月号)。  しかし、これは奇妙です。日本は東京五輪実施種目を決める61年12月のパリIJF総会では「無差別を含まない」3~4階級を提案したはずです。つまり4年前には日本は「無差別級はいらない」と言っていたのです。舌の根の乾かぬ内に前言を翻すご都合主義とはこのことです。  東京五輪ではおそらくヘーシンクに無差別級優勝を奪われるであろうことを恐れて無差別級不要を唱えた日本が、ヘーシンク引退後に無差別級で勝てると踏んだ途端に無差別級存続へと手のひらを返したわけです。  結局、日本の主張が通り、2回の投票の結果、次回大会以降も無差別級の継続が可決されましたが、この時はまだヘーシンクに続く、オランダの第二の黒船、ウィレム・ルスカ(72年ミュンヘン五輪重量級・無差別級2階級金メダリスト)の脅威が目前に迫っていることを日本は知る由もありませんでした。
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ヘーシンクに勝ち逃げを許した日本
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