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戦時中に製造された「毒ガス弾」、現在も放置されたままに…

戦後、忘れ去られた毒ガスの存在

毒ガス手投げ弾

掘り出された硫酸ビンの毒ガス手投げ弾。土壌からはマスタードや青酸も検出された

 毒ガスは、第一次大戦中にドイツ軍がマスタードガスを用いたのが始まりだ。旧日本陸軍は瀬戸内海の大久野島で毒ガスを極秘生産し、中国大陸で使用した。マスタードガスより即効性のあるびらん剤のルイサイト、くしゃみ剤(嘔吐剤)、催涙剤、窒息剤のホスゲン、血液成分に作用する青酸ガスなど、さまざまな毒ガスが作られた。 「主に本土決戦用に作られた海軍のマスタードガスは1944年には190tが生産され、中国大陸で使う陸軍の生産量を上回りました。それが地下壕に備蓄され、敗戦とともに忘れ去られたのです」
平塚の現場

平塚市の市営図書館駐車場のアスファルトの下には、今も毒ガスが眠る。指さすのは北氏

 平塚の工場北側では井戸水調査で毒ガス生産の副産物であるモノフェニルアルシン酸が検出され、2008年までに環境省が2000tの汚染土壌を運びだしている。 「その汚染土壌をどこに移したのか、環境省は明かさない。また、旧軍の生産した毒ガスにはすべて不凍剤としてヒ素が入っていて、最新の焼却炉でも処理できないんです。多くの毒ガス遺棄地で、地下水への影響が懸念されています」  この寒川・平塚だけでなく、全国各地に化学兵器が遺棄されている。その中には情報が不正確なものも多く、まだまだ今後も見つかる可能性があるのだ。 取材・文・撮影/宗像充 写真/北宏一朗 時事通信社
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