戦時中に製造された「毒ガス弾」、現在も放置されたままに…
かつて神奈川県平塚市と寒川町には、旧日本海軍の「秘密毒ガス工場」があった。一帯には今も毒ガスが遺棄されたままになっているという。その場所とは、寒川町岡田にある全長3kmの地下壕だ。道路沿いに木立の生い茂った斜面が続いている。草むらの中に入ると、土嚢で蓋をされた壕の入り口が2つ見えた。
「毒ガス遺棄についてお年寄りに詳しく聞こうとすると、『(戦前に憲兵が使用した)縄手錠をかけられる』と、なかなかしゃべってくれません」と語るのは、2003年にこの地下壕を発見した化学兵器被害解決ネットワークの北宏一朗氏。
戦前、海軍の毒ガス工場(寒川の相模海軍工廠、平塚の海軍技術研究所)には最大3000人が毒ガス製造に従事していた。
「平塚の工場に勤務していた大佐の手記では『国民総武装兵器特殊地下壕』と呼ばれていたそうです。壕は相模湾から上陸した米軍を迎え撃つ、毒ガス兵器を使った本土決戦のための地下施設として、毒ガスを製造し稼働していました」
寒川の工場の敷地を横切る道路の建設中、作業員が深さ2~3mの場所からビール瓶を掘り出したのは2002年のこと。中身は皮膚や呼吸器系統に炎症を引き起こす、びらん性の毒ガス、イペリット(マスタードガス)が入っていた。
「工場では戦前、ビール瓶に毒ガスを詰め、手投げ弾として生産していたんです。掘り出された毒ガス弾は最終的に802本。そのとき毒ガスを吸った11人に、発疹などの症状が出ました」
毒ガスに半減期はなく、何十年経っても「兵器」として偶然発見した人に襲いかかる。
「作業員たちは自律神経にダメージを受け、視野狭窄のほか気管支を損傷したり、慢性的な下痢になったりしました。登山家でもあった頑強な作業員の一人は、事故後やつれはてていました。それなのに国は因果関係を認めず、一切対応しようとしない」と北氏は憤る。
かつては約3000人が毒ガス製造に従事
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