高山さんを通して日本とカンボジアの交流が生まれる
地雷・不発弾処理を実施しながら、井戸を掘り、道を作り、学校を作り、日本語を教え、ときにはオヤジギャグなんかも教え、そのオヤジギャグを覚えたカンボジア人が日本に留学をしたり、日本で就職して技術を磨いていたりするのです。毎回、高山さんに取材をするたびに「そこまでやってるんですか!」という驚きの連続です。その中に、カンボジアから15歳で単身愛媛に留学したリスラエンさんという女の子がいますが、彼女は「カンボジアと日本の架け橋になるような仕事がしたい」と力強く語ってくれました。
高山さんはさらに「経済的自立を目指す取り組み」にも着手し始めました。住民が働く場所を作るために日本の企業を村に誘致し、地雷源だった畑で育てたキャッサバ芋を使った特産品開発にも乗り出しました。
愛媛県の酒造メーカーの技術協力を受け、村に酒蔵を作り、酒を醸します。改良を重ねて完成した芋焼酎「ソラークマエ」は日本の焼酎とは全く違う、深みのある洋酒のような味わいで、試飲していただいた要人達も絶賛し、商品化にも成功しました。現在はアンコールワットを始め海外でも(日本でも)販売されるような、カンボジアを代表する特産品のひとつになりました。なんなら、ラム酒やコーン酒なんていう姉妹品も完成しているから、さすが酒好きな高山さんです(笑)。
地雷原だった畑から生まれたソラークマエ
合わせて積極的に受けて入れているのが、日本からの「スタディーツアー」。高山さんは1年間の3分の2をカンボジアで過ごしますが、3分の1は日本に帰国し、活動報告やカンボジアの現状、平和の尊さを全国各地で説いて回っています。毎年のように全国表彰をされ、その度に全国各地から講演依頼もあり大人はもちろん、学生の前で語ることも随分と増え、聴講した人から「実際に現場に足を運びたい」という要望にできる限り答え、ツアーガイドを行っています。
高山さんは「もう、自分が何屋さんか分からなくなってきた」と笑います。中には親を説得してカンボジア入りする中学生や、小学校の夏休みの自由研究に高山さんの活動を題材にする児童、部活動で高山さんを紹介するVTRを制作する高校生などこれからの日本や世界を支える10代が、高山さんに影響を受けてアクションを起こしています。
スタディーツアーでカンボジアの今を熱く語る
2020年1月。高山さんが10年かけて多くの方々とコツコツ積み上げてきた信頼が、一つの形になりました。カンボジアのバッタンバン州庁舎において、「カンボジアバッタンバン州と愛媛県の友好交流・経済協力に関する覚書」の調印式が行われました。すでにカンボジア政府機関や州政府からも絶大な信頼を得て、地雷処理技術顧問や復興担当顧問に任命されている高山さんが、まさに「架け橋」となったわけです。
愛媛県知事他訪問団約50名が、バッタンバン州で調印式の後に、カンボジア政府内務省を訪問、副首相に調印完了の報告もなされました。より親密な友好関係のスタートとして、さらに相互交流、相互協力の背中を押してくれる覚書だなと感じます。10年前にバッタンバン州知事が愛媛に訪問してくださった時から存じ上げている身としては、本当に感無量の出来事でした。
10年の想いが結願した瞬間
「今年はどんな年にしたいですか?」と高山さんに尋ねてみました。彼は白い歯を出して白髪頭を後ろにそらして大きな声で笑った後、「もう72歳よ?でもまだ72歳。今年も継続して活動していく中で、自分が想定している以上の、想像もしないような出来事がたくさん起こるはず。今までもずっとそうだった。今年、思いもよらない嬉しい出来事に出会えると思うと72歳でもワクワクしかない。もう糸の切れた凧みたいなもんよ~」と語ってくれました。
「ワクワクしかない」。高山さんのエネルギー源はこれに違いない。そんなワクワクな景色を、私もNPOメンバー(
認定NPO法人 国際地雷処理・地域復興支援の会)の一人としてご一緒に観させていただきたいと思っています。「私も観たい!」というアナタ! いつでもどなたでもwelcomeです!!
<取材・文/やのひろみ>
【フリーパーソナリティ やのひろみさん】
1975年、愛媛県生まれ。
タグプロダクト取締役。イベント音響の裏方スタッフやディレクター、愛媛県のテレビ・ラジオ番組のパーソナリティとして活動中。放送批評懇談会 第47回ギャラクシー賞ラジオ部門DJパーソナリティ賞受賞(2010)