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高校中退後、板前、トラック運転手など職を転々。IT社長の異色の経歴を覗く

 近年、Webサイト運営を行うフリーランスの増加や、個人で簡単にECサイトを運営できるサービスの流行で、画像の輪郭を精緻に切り抜く「画像の切り抜き作業」のニーズが高まっている。  AIの技術が発展した現在も完全自動化は実現されておらず、精度の高い画像の切り抜きは、Photoshopなどの画像編集ソフトを使用して“手作業”で行う必要がある。そのため、デザイナーなどの手を煩わせる労働集約的な作業となっているのだ。
渡邉堅一郎

株式会社メディア・バックオフィスの渡邉堅一郎社長(撮影/藤井厚年)

 今回はそんな「画像の切り抜き作業」に特化したサービス『切り抜きjp』を運営するメディア・バックオフィスの渡邉堅一郎社長にインタビュー。雑誌、カタログ、チラシなどの紙媒体をはじめ、ネットショップなどのWeb媒体の制作者なら、一度はお世話になったことがあるかもしれない「切り抜きjp」のサービス誕生秘話を聞いた。

高校中退、板前やトラックドライバーなどの職を転々

 大阪出身で銀行員だった父親の転勤で3歳から東京で育ったという渡邊氏。10代の頃は「少しヤンチャなタイプだった」ようで16歳で高校を中退し、バイト先の料理屋で3年間の板前修行。その後、大型トラックのルートドライバーに転身するなど、なかなか異色の経歴の持ち主だ。 「母親が教育熱心で、中学は鹿児島のラ・サールに進学したんですが、寮生活に馴染めず、中学2年で自主退学することになり、東京に戻りました。高校も私立でしたが半年くらいでやめて。実家で暮らしながらちょっとバイトやるニートみたいな生活をしましたね。ルートドライバーの仕事というのは当時2000年くらいですけど、コカ・コーラの配達の仕事が1ケースいくらの歩合制で月70~80万円稼ぐ人もいると聞いて始めたという感じで。その仕事は社員として2年ほど働いていました」

韓国で個人輸出業を開始、高級住宅街に住み毎夜散財

 その後、渡邉氏は『冬のソナタ』などを契機とする2000年代初めの韓流ブームに乗り、ソウル市にてアパレル・韓流グッズなどの個人輸出業を開始。景気の良い時はソウルの高級住宅街である江南のマンションに住み、毎夜5万円、10万円と散財するのが当たり前の生活をしていたという。 「先にそういうビジネスをやっていた友達にやり方を教えてもらいながら、韓国で買い付けして『ヤフオク!』とかで売る個人事業を始めました。月1回くらいのペースで買い付けしていたんですが、途中から韓国住めば毎日タイムリーな仕入れできるし、効率的だということで2年間ほど韓国に住んで。最初は月7万円ほどのアパートでしたが、ピーク時は月商500万円ほどになって調子に乗っていた時期はありましたね」  ところが韓流ブームの衰退に伴い個人事業を閉鎖。最後は業者に在庫を投げ売りして泣く泣く日本に帰国した。 「結局、向こうで遊んでいたんで売上ピーク時のお金もほとんど残らず……。帰国してからはライブドアとかがけっこう騒がれていた頃だったこともあって、IT企業に就職しようとも考えましたが、いろんな会社に面接に行ったんですけど落とされまくったんです。まだ24歳くらいでしたが、高校もドロップアウトしているし、自分が興味のある会社に面接へ行っても通らないと痛感して。また自分で何かビジネスをやろうと考えるようになりました」
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