なんでそんなに「日本のお笑い」に絡むの?
件のブログ投稿の後にアップされた、
森喜朗の女性蔑視発言に対する、茂木健一郎のブログの主張は
完全なイチャモンだ。
『森さんのご発言は不適切そのものだけれども、森さんだけを非難しても仕方がない気がする。(略)日本におけるジェンダーの不均等はもっと根が深いものだと思うからだ。そして、お前、それ関係あるのか、と言われそうだけど、日本の地上波を中心とする「お笑い」の惨状と大いに関係していると思う。日本のお笑いの惨状を含めて、日本の社会、文化全体がもたらした結果が森喜朗さんという方が政治家として長年活躍し、今東京五輪組織委員会会長をされているという結果につながっている。』(
2021/2/7更新「森さん一人を叩いても仕方がない」より)
もうここまでくると、日本のお笑い芸人やテレビ業界に対する歪んだ感情しか伝わって来ない。なんだか不憫にすら思えてくる。
なぜ茂木健一郎はテレビ業界をそこまでストーキングするのだ? また、このブログ投稿では、こんなことも言っている。
『海外ではスタンダップ・コメディだけじゃなくて、モキュメンタリーとかでも、ジェンダーやエスニシティについての偏見や固定観念にとらわれている人を笑いでメタ認知することで相対化するという仕事をたくさんしている。』
これってもしかして、イギリスのコメディアン、
サシャ・バロン・コーエンの
映画『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』のことを言っているのか? この映画はサシャ・バロン・コーエンが偽のカザフスタン人「ボラット」を演ずるモキュメンタリー(フェイクドキュメント)である。カザフスタン人を文明が行き届かない辺境に住む、野蛮なエスニシティ(民族)として描いている。
『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習 <完全ノーカット版> 』[DVD]
ボラットは写真だけを見てアメリカ人の女性に恋をして渡米する。その女性の居場所の手がかりをつかむために、
“非常識な”カザフスタン人は、アメリカの一般人と触れ合う。その人たちに対して、(キャラで演じている)野蛮人ゆえに、迷惑YouTubrさながらに、ガチの狼藉を働くのがこの映画である。最高に面白い。私は大ファンだ。だがその迷惑は度を越している。嫌悪感を抱く人もいるだろう。内容はほとんど狼藉と下ネタである。そしてこの
度を越した悪趣味こそが、イギリスのコメディーの真骨頂である。
茂木健一郎は「お笑い」に対して一家言あるようだが、そのバックボーンは
落語とイギリスのコメディー
『モンティパイソン』であるとインタビュー(
’20年8月29日「WANI BOOKS NewsCrunc」)で答えている。サシャ・バロン・コーエンはモンティパイソンの流れを汲む、現在最高のコメディアンだ。茂木健一郎が言及したモキュメンタリーにボラットが含まれている可能性は高いだろう。
ただ、イギリスのコメディーは「偏見や固定観念にとらわれている人を笑いでメタ認知することで相対化する」、つまり偏見に満ちた人物を演じるコメディアンを反面教師にして、視聴者が自分の中の偏見に気づくために、悪趣味を連発しているわけではない。コメディーをセラピー術みたいに言わないで欲しい。そんな思惑で作ったコメディーは絶対に笑えない。
イギリスのコメディーにあるのは「ただ悪趣味たれ」、ただそれだけの信念だ。正義でも悪徳でも、すべてのタブーを否定するのための悪趣味である。
悪趣味こそバイタリティーだからだ。
1968年生まれ。構成作家。『電気グルーヴのオールナイトニッポン』をはじめ『ピエール瀧のしょんないTV』などを担当。週刊SPA!にて読者投稿コーナー『バカはサイレンで泣く』、KAMINOGEにて『自己投影観戦記~できれば強くなりたかった~』を連載中。ツイッター
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