更新日:2021年05月11日 16:10
エンタメ

テレビは死ぬのか?「ハイパーハードボイルドグルメリポート」騒動に見る危機感

「テレビの死」という表現に違和感

 私はこの「僕たちテレビは自ら死んでいくのか」と言う記事を「檄文」と書いた。事実、テレビ東京社長に対してかなり強い口調で意見をしている。上出遼平は、この記事を発表する以前にも、他のメディアでこの件について言及したものの、テレビ東京広報局の手が入り当該箇所が削除されたため、今回の群像への寄稿は会社には報告してないと、内幕をぶちまけている。
「群像」(講談社)4月号

「僕たちテレビは自ら死んでいくのか」が掲載された「群像」(講談社)4月号

 この記事は、放送業界の人間たちの間で大きな反響があったそうだ。テレビ業界の生々しい現実が描かれているのだろう。しかし私は、上出遼平が告発した組織の体質をもって「テレビは自ら死んでいくのか」と言われてもどこか釈然としない気持ちになった。  音声コンテンツの企画が社内でたらい回しになった事は、確かにテレビ業界の閉塞感を表しているかもしれない。しかしそれを持って「テレビが死ぬ」とまで言うのはあまりにも扇情的に思える。そもそも上出ディレクターが作りたかった日本の裏社会を描いたドキュメンタリーは、元々テレビ局の許容の外にあるように思う。

テレビには「たわいなさ」も大事

 私が最も楽しみにしているテレビ番組は「踊る!さんま御殿!!」「有吉の壁」(共に日本テレビ系)だ。晩御飯を食べながら観るのが好きだからだ。私がテレビ番組に最も求めるものは「たわいなさ」だ。前のめりになって一生懸命見なくて済むもの。少しぐらい聞き逃したって構わない内容。ただ屈託なく笑いたい。そうしたテレビ番組の明るいたわいなさは、テレビが維持することを宿命づけられている公共性が担保しているように思える。  往々にしてこの「たわいなさ」は軽んじられがちだ。しかし、しっかりとしたメッセージを持ったコンテンツを作るのと同様に、明るく馬鹿馬鹿しいコンテンツを作る事は難しい。上出ディレクターにそんな意図はないのは明白だが「テレビの死」という言葉がともすれば、テレビのたわいなさがないがしろになり、作家性のあるものだけが素晴らしいと言う方向に世論を導くことを危惧する。
次のページ
音声コンテンツは突破口になるのか?
1
2
3
1968年生まれ。構成作家。『電気グルーヴのオールナイトニッポン』をはじめ『ピエール瀧のしょんないTV』などを担当。週刊SPA!にて読者投稿コーナー『バカはサイレンで泣く』、KAMINOGEにて『自己投影観戦記~できれば強くなりたかった~』を連載中。ツイッター @mo_shiina

記事一覧へ
おすすめ記事