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56年前の性的虐待疑惑で訴えられたボブ・ディラン、「なぜ今?」には理由があった

ボブ・ディランにとって1965年は特別な年だった

 そこで1965年当時のディランがどのような状態だったかをかんたんに振り返りましょう。アコースティックギターをかき鳴らしてフォークソングを歌っていたディランが、エレキギターに持ち替え、ロックバンドを従えるようになったのが、ちょうど1965年ごろでした。突然の変身ぶりは聴衆の反感を買い、ブーイングはおろか、“Judas”(裏切り者の意)と罵声を浴びせられたこともあったのです。
 より激しく大きなっていたサウンドと比例するように、シュールレアリスムに傾倒した歌詞は難解さを増していきました。「Desolation Row」や「Subterranean Homesick Blues」 などの曲は、ネイティブスピーカーでも理解できないほどに込み入った歌詞で、“ディラノロジスト”(ディラン学者)なるマニアが生まれたほど。
ボブ・ディラン歌詞

ボブ・ディランは歌詞でノーベル文学賞を受賞。歌詞集に加え、研究書も山ほどある(© Apostolos Giontzis)

 つまり、現在に至るまでボブ・ディランというブランドを支え続けてきた神秘性は、1965年に生まれたと言っても過言ではないのですね。  

当時、ドラッグ漬けでもあった

 そして、アーティストとして神格化されていく過程において、ドラッグが少なからず影響を与えていた事実にも触れなければなりません。マーティン・スコセッシ監督の『No Direction Home』でも、メタンフェタミン(覚醒剤の一種)にハマっていたと、ディラン自身が語るシーンがありました。創作のときだけ薬物を摂取するとは考えにくく、私生活にも深く入り込んでいたと考えるのが自然です。  それゆえ、訴えの内容が、その時期と重なることは重要です。然るべき審理を経たのち、もしこれが事実であると公に認められたならば、ディランファンの端くれの筆者も、“あったとしても不思議ではない”との感想を持つと思います。
 逆にこの一件が虚偽だったとしても、相当にメチャクチャな時代だったことは確かで、ギリギリのテンションから数々の傑作が生まれてきた状況は想像に難くありません。  <Beauty walks a razor’s edge>(美しさは剃刀の刃を歩く「Shelter from the Strom」Bob Dylan 筆者訳)の、妖艶な危うさを地で行ったと言うべきでしょうか。  ロック、ポップミュージック史上、最大の成功とも言うべきボブ・ディラン。今回の一件が及ぼす影響は、計り知れません。 <文/音楽批評・石黒隆之> 
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4
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