すべての表現は「人を喜ばせたい」から
――沖縄、生と死、親子といったところは、ずっとテーマにしていきたいものですか?
照屋監督:“死”というテーマは常に頭にあります。世界中、どんな人でも、アメリカの大統領だろうと、沖縄の森の中に住んでいる人であろうと、ゴールは死です。だったら、
生きている間の人生ゲームをどう生きるのか、どう楽しむのか、そしてどう楽しませるのか。そこに使わないともったいないと思っているんです。人生にはいろんな苦難がありますけど、死に向かうまでの時間、どう生きたらステキか、何を感じたら充実するか。本を読んだり人と出会ったりしながら、何か「いいな」と思えることがある度に、「今度はこれを表現しようかな」と一生続けていくのだと思います。
――芸人さんとしての活動も、映画を生み出すことも、“表現”への思いの根っこは同じなのでしょうか。
照屋監督:そうです。
人を喜ばせたい。たとえば、先日も犬の散歩中に、自転車で道に迷っている方がいたのですが、犬と一緒に走りながら、道を案内しました。誰かに喜んでもらいたい気持ちは、プライベートでも同じです。病むことも悲しいことも、腹が立つこともありますけど、負の連鎖を作っても意味がない。せっかく同じ時間を生きてるんだったら、できるだけ心を充実させて、美しいものと出会って、そっちの時間で埋め尽くしていきていけたらと思っています。
――「人を喜ばせたい」といえば、今年はゴリエちゃんの復活も大反響でしたね。
照屋監督:本当は僕はやりたくなかったんです。宮迫(博之)さんが、YouTubeでぐっさん(山口智充)と「クズ」を復活させたら、すごく評判がよくて、コメントで今度はゴリエちゃんの復活がどうしても見たいと来ているから「やらへんか?」と。
僕は「今更、痛々しくならないですかね」と心配でした。
――それは15年経ったことによる年齢的、体力的な心配ですか?
照屋監督:15年前にやっていた人気キャラクターを、50歳手前になった男が化粧して女装して。「うわ、こいつ、これしかないのか?」「今更ゴリエ?」と、過去の栄光を背負って出てきた痛々しいヤツに見えるんじゃないか、嫌悪感を持たれるんじゃないかと。それでもと、一応、吉本とフジテレビに確認したら、吉本もOKだし、フジテレビは「ゴリエちゃんの衣装とか全部持っているので貸しますよ」と言ってくれて。そこまでしてくれるんですかと驚いて、
「じゃあ、やりますか」とやってみたら、予想外の反響で。
――「お笑い第7世代」と共演(『新しいカギ』)したり、CMに出たり。
照屋監督:そうなんです。自分の足で人生を進んで行きたいという気持ちはもちろんありますが、人が自分の人生を連れて行ってくれる、川の流れに乗っているような時もあると感じます。
――監督デビューもゴリエちゃん復活も流れに乗ったから?
照屋監督:はい。芸能界に入るぞというのは、自分で選択して、自分の手で泳いで吉本に入りました。でも映画監督というという波には吉本が乗せてくれたし、ゴリエちゃんを復活しようというのも、宮迫さんとか「くらしのマーケット」さんといった周囲が流れを作ってくれました。
――そして心配だったというゴリエちゃんは、すごく温かく迎えられた。
照屋監督:
ほんと、「よろこび~!!」ですよ。「くらしのマーケット」さんの第2弾CM撮影のとき、いつものメイクさんが病気入院でお休みで、代わりの方がいらしたんですが、急に泣き出しちゃって。どうしたの?と聞いたら、「子どもの頃、親が遅くまで帰ってこない部屋で、弟と一緒にゴリエちゃんを見てずっと元気をもらっていました。ゴリエちゃんが好きだと担当のメイクさんに言っていたら、今度私は入院するから、代わりにやってみたら?と言われて、死ぬほど練習して来たんです。私がゴリエちゃんのメイクをできるなんて夢みたいで」と泣き出して。
――すごい! ステキ!
照屋監督:人の人生の思い出に、自分が“喜び”として入れているのが本当に嬉しくて。みなさんからもたくさんのコメントやお手紙をいただいて。復活するのは、本当に怖くて悩んだけれど、やってよかったと思える選択でした。ゴリエ月間は終了していますが、まだ「Mickey」をやらなきゃいけないので、また復活します。みんな簡単に踊れていると思ってますが、体は本当にキツイんですけどね。ただの50歳手前の人ですから(笑)。
ケーブルテレビガイド誌の編集を経てフリーランスに。映画周辺のインタビュー取材を軸に、テレビドラマや芝居など、エンタメ系の記事を雑誌やWEBに執筆している。親類縁者で唯一の映画好きとして育った突然変異。X(旧Twitter):
@mochi_fumi記事一覧へ