プロピアニストの道を難病で挫折。故郷・淡路島で見つけた新たな「夢」
若かりし頃は誰もが「夢」を口にする。しかし自分の中で光り輝いていた理想は、社会に出て現実という壁にぶつかり、いつのまにか消えてしまう。長年追い続けた夢であるほど挫折した時のショックは大きいはずだ。厳しい現実といかにして向き合い、その後の人生をどう歩んでいくのだろうか——。
メイさんは兵庫県の淡路島で生まれた。幼少期は人前で話すことが不得意なおとなしい子供だった。本格的にピアノに打ち込むようになったのは小学生の頃だという。
「小学校1年生ぐらいから良い思い出がありません。服装とかが少し個性的な子供だったので、同級生からよくいじめられていました。そんな学校生活や人間関係で溜めたストレスをピアノで発散していましたね」
同級生との会話はその場だけなんとか取り繕った。いじめの標的になるのを避けた。そのぶん帰宅後に、まるで友達との会話にふけるかのようにピアノと慣れ親しみ、没頭するように。
いつしかメイさんとピアノは、親友のような関係になっていた。
「悲しさや苦しさなどの感情をピアノなら誰も傷つけずに表現できる。この頃は、ピアノを弾けば弾くほど気持ちが楽になっていった。そんな記憶があります」
成長と共にメイさんのピアノへの情熱はさらに熱を帯びていく。合唱団での伴奏と個人レッスンを掛け持ちした。小学校3年生から高校3年まで毎年コンクールに出場。賞を何度も受賞するほどピアノ漬けの日々だった。ある時、そんな活躍を耳にした大学の教授がメイさんのもとまでわざわざ足を運び、スカウトしてくれたのだ。
メイさんはプロピアニストを本気で目指すことを決意した。そして教授の在籍する神戸女学院大学音楽学部ピアノ科に迷いなく入学した。
メイさんは大学への入学と同時に校内にある女子寮に入寮した。期待を胸に学校生活がスタート。各地からピアノを弾くために集まってきた精鋭たちと切磋琢磨しながら、大好きなピアノに打ち込める……。
しかし、そんな矢先にメイさんを病魔が襲った。
「はじめは新しい生活に不慣れで、少し体調が悪いだけと思っていました。でもある日から高熱が続きました。意識が朦朧としてしまうこともありました。ただ、親に言うほどでもないかなって、我慢しながら、授業を受けていましたね」
前期試験前にメイさんの体は限界を迎えた。授業中に先生の目の前で意識をなくし、倒れてしまったのだ。すぐさま病院に運ばれ精密検査をすると、診断結果は膠原病(こうげんびょう)だった。いわゆる“難病”で、治療法は確立されていない。
「先生には即入院ですと言われました。私が『前期試験が終わってからでもいいですか?』と尋ねると試験と命、どっちをとるんですか?と先生の言葉で事の重大さにはじめて気づきましたね。私はもう死んでしまうのかもしれないと頭が真っ白になったのを覚えています」
現在、プレゼントや記念日などの贈り物にと問い合わせが殺到する人気店を営むプリザーブドフラワー作家のメイさん。だが、もともとは幼少期からピアノに打ち込み、コンクールでたびたび賞を受賞。その後、音楽大学に進学するなど、プロのピアニストを目指していた。しかし突然、病魔に襲われて夢をあきらめた。そんな彼女が、新たな人生を踏み出し、新しい夢を見つけるまでの物語に迫った。
「同級生からいじめられて…」
突然の病魔、医師からは「試験と命、どっちをとるんですか?」
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