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『相棒』新シーズンが期待はずれ…亀山の復帰で話題も、拭えない“古臭さ”

拭えない「古臭さ」

 そのうえで、筆者はドラマ全体の金属疲労を感じました。10年ぶりの『相棒』はとにかく古臭かったのです。   まず引っかかったのは、芝居がオーバーであること。特に冒頭のシーン。サルウィンのニュース動画で亀山薫の姿を確認した捜査一課の面々にこそばゆくなりました。  薫と伊丹刑事(川原和久) の“敵対関係”をわかりやすく見せるためだとしても、目ン玉をひんむいて大声をあげるほどの驚きや憎しみもないはず。コミカルな補助線をひく演技だと理解しつつ、少し誇張しすぎだと感じました。  それでも15年前は面白かったのです。小気味いいジェスチャー、機知に富んだ脚本のおかげで、オーバーアクションがいいスパイスになっていた。しかし、今シーズンではそうしたスピード感と含蓄が失われている。初回が終わっただけですが、もっさり感は拭えませんでした。  そのため、鑓鞍兵衛(柄本明)や片山雛子(木村佳乃)などの個性豊かなキャラが有機的に絡み合わない。みんな各々のテリトリーで面白い芝居をしているだけというイメージなのですね。  すると、本来ならばリアルな人格であるはずの役柄がカリカチュアに堕してしまいます。過去シリーズに登場した瀬戸内米蔵(津川雅彦)や小野田公顕(岸部一徳)だって強烈な個性を放っていましたが、彼らはしっかりとドラマに“組み込まれて”いた。  そのような重石となる存在を作れなくなったこと。そこに金属疲労があらわれていると見ました。

「止まったまま」の脚本

 そして、先述した脚本について。ディテールがどうこうよりも、同時代感に欠けるのではないか。2022年が舞台であるリアリティが感じられない。つまり杉下右京が全く変わっていないのです。  22年という年月で、政治、社会、経済、風俗も様変わりしています。人間の振る舞いや考え方も、外部の影響を受け少しずつ変化していくものです。  ところが、10年ぶりに観た杉下右京は“あのとき”と同じでした。着ているもの、歩き方、話し方。あらゆる要素がキャラクターの中で固定されている。生身の人間が真空状態のまま保存されているみたいで不自然なのですね。  主人公が年を取らず変化しないのですから、周囲も合わせざるを得ません。だからドラマそのものも時間がストップしてしまう。そこでキャラクターと演じる人間との間にギャップが生じてしまうわけです。  それは14年ぶりの亀山薫に顕著にあらわれていました。はっちゃけようとするのだけど、テンションが上がりきらず、身体も反応していない。昔だったら大声を張っていたシーンもどこか遠慮がち。皮肉にも薫の復帰が『相棒』の構造的な行き詰まりをあぶり出してしまった形です。
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おいそれと変えられない苦悩も垣間見えるが…
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音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4

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