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『武士道が日本経済の足を引っ張っている』呉座勇一が気づいた日本人の欠点

武士道=忠義という考え方が広まった理由

呉座勇一

終始にこやかな面持ちで、日本史のインタビューに答える呉座氏。これからは大河ドラマや戦国武将を扱ったゲームなど、ライトに歴史を楽しむ人たちにも歴史学の魅力を伝えていきたいと語る

武士道=忠義という考え方がここまで広まった理由は、昭和との相性がよかったからだと呉座氏は分析する。その真意とは? 「平和な江戸時代には、個性の突出よりも組織への順応が重視されました。これがアメリカの保護や終身雇用制度により流動性の乏しい昭和とぴったり重なり、格好のモデルになったのだと思うんです。 さらに昭和は右肩上がりの時代ですから、『日本人には江戸“武士道”が合う』という成功体験になってしまった。この経験は時代が変わった今も尾を引いているのではないでしょうか?」

成功体験を捨てられた伊達政宗のスゴさ

過去の成功体験が強烈なあまり、価値観のシフトに踏み切れない現代人。呉座氏はこのジレンマを克服した存在として、「独眼竜」の愛称で知られる伊達政宗に注目する。 「政宗は若くして東北で頭角を現し、戦国を生き抜いた成功者です。しかし江戸時代になると価値観を大きく転換します。 そのことがよくわかるエピソードがあります。政宗は徳川家康の死の間際、謀反の疑いをかけられたことがありました。伊達家家中が騒然としていたところ、家康の側室から『一刻も早く弁明したほうがいい』と手紙が届きます。謀反の言いがかりに加え、女の勧めで家康に弁明しに行くというのは、武士の常識からすれば耐え難い屈辱。家臣たちは猛反対しましたが、政宗は家康のもとへ急行し、必死に弁明して謀反の疑いを解きました。 ここで名誉や見栄を気にした家臣たちはとても中世武士的で、当時からすれば当たり前の判断。しかし政宗ただ一人だけが先の時代を歩いていました。徳川の天下が決した今、面目ばかり気にしていては生き残れないとわかっていたのでしょう。自分の名誉や反骨心を捨て、徳川家への忠誠を率先して行った政宗の行動は、江戸の武士らしい価値観を先取りしたものです。 政宗の本当のスゴさは、己の成功体験に固執せず、時代に合わせて素早く価値観をシフトさせた、その姿にこそあるのだと思います」 バイタリティに溢れ、激動の時代を戦い抜いた中世武士たちの名ぜりふから、我々も現代を切り開くヒントを得たいところだ。
呉座勇一

武士たちの名言から、彼らのメンタリティを読み解き、日本人の核心に迫った意欲作。歴史に疎い読者でも楽しめるように、織田信長や上杉謙信など、著名な戦国武将にも触れる

【歴史学者・呉座勇一】 ’80年、東京都生まれ。専門は日本中世史で、『応仁の乱』(中公新書)や『戦争の日本中世史』(新潮選書)など著書多数。最近では自らの知見を活かした知的言論YouTubeチャンネル「春木で呉座います」でも精力的に活動 取材・文/齊藤颯人 撮影/清水将之
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