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タモリの「新しい戦前」発言にネットで反響。良識派タレントと神格化する危うさ

コーエンの詩はむしろカニエを称賛するものだった?

 しかし、その読みはあまりにも浅はかであり、むしろコーエンの詩はカニエを称賛するものだったと指摘したのがアメリカのウェブサイト『SLATE』です。(「Leonard Cohen’s Kanye West Poem Wasn’t an Insult」 Carl Wilson 2018年10月12日)  著者のカール・ウィルソンはコーエンがラップミュージックを好んでいた事実を示し、カニエをディスるような表現の数々がラップバトルを踏襲したものであると論じています。そのうえで、“カニエはピカソなどではない”というフレーズがディスりごっことしてのジョークだったと分析。  だからこそ、「クソみたいな時代における途方もないほど嘘っぱちの変革」も悪口と悪口を掛け合わせてプラスの意味を持たせる効果が生まれる。  さらにコーエン自身の楽曲「Democracy」からの一節<私は左翼でも右翼でもない。今夜はただ家で過ごすだけだ>(I’m neither left or right. I’m just staying home tonight  筆者訳)を引き、コーエンが思想の違いを理由に誰かを攻撃することは考えにくいことも明らかにしています。  そしてこの詩がまだカニエの変節ぶりが明らかになっていなかった2015年に書かれた事実からも、早まった良識派の人々が詩を誤読してしまったのだろうと推察しているのです。  こうしてレナード・コーエンも矮小化されてしまったのですね。

「あのタモさんが言っているから」で物事を判断するのは危険

 そこで改めて「新しい戦前」発言を考えてみたいと思います。  確かに、多くの人が想像したように反戦や非戦の願いが込められていたのかもしれません。けれども、そこに“あのタモさんだってそう言っているのだから”という早合点の権威付けがあったのだとすれば、少々危ういのではないでしょうか。  仮に逆にふれた場合にも、同様に都合よく解釈される可能性は否定できないからです。“あのタモさんが戦前の雰囲気にワクワクしているのだから”というシチュエーションだって、絶対にないとは言い切れない。    有力な人物のちょっとした言葉で流れが決まってしまう。具体的に軍備を増強するとかよりも、そんな社会現象の方が「新しい戦前」と呼ぶにふさわしいのかもしれません。 文/石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4
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