仕事

52歳サラリーマンが南極の越冬隊員に。氷点下40度超でも「不安はないですね」

南極の越冬隊員として1年間の任務

熊倉聡泰 しらせ

熊倉聡泰さん。南極観測船・しらせ船上にて(写真提供:国立極地研究所)

 昨年12月22日に昭和基地に到着した第64次南極地域観測隊。現在さまざまな調査研究が行われているが、観測隊の中には「え、こんな人も」という経歴の人がいる。大手住宅メーカー・ミサワホーム社員の熊倉聡泰さん(52歳)だ。熊倉さんは国立極地研究所の職員として、第64次南極地域観測隊員に選任。越冬隊員として1年間、南極に滞在する。  熊倉さんは越冬隊唯一の建築・土木担当として、夏期間(2022年12月〜2023年1月)は①既存建物解体工事、②新夏宿舎の基礎工事、③風力発電の基礎工事、④アンテナ基礎工事、⑤コンクリートプラント運用、⑥南極内陸居住モジュール組立等を行い、冬期間(2023年2月~12月)は昭和基地の建物のメンテナンス補修、ソリや家具等の補修・制作――というのが担当業務だ。  ミサワホームからの南極地域観測隊への参加隊員数は、熊倉さんを含めて延べ26名、第50次観測隊から15期連続の参加となるが、「誰もが知る住宅メーカーの社員が、1年間、家族のいる日本を離れて、南極の越冬隊員となる」こと自体に驚きを隠せない人は多いだろう。越冬隊員としての担当が決まるまでの経緯や、率直な心境について、本人を直撃した。

日々の仕事と登山で「体力には不安なし」

――越冬隊員としての担当が決まった経緯について教えてください。 熊倉聡泰さん(以下、熊倉):ミサワホームの中で観測隊に応募して、3回目でミサワホームと極地研から採用をされました。「本当に南極に行けるんだ!」と喜んだのが最初の気持ちです。その半面、自分の技術が通用するか? まったく違う環境で大丈夫か? という不安はありました。それでも「何事も挑戦なんだ」と思い直し、ミサワの南極OBたちから繋いで来ている信頼を失わないよう、与えられたミッションを怪我無く終わらせよう、という気持ちを強めました。 ――冬期間は最低気温マイナス40℃を超えることもある、過酷な環境下での業務となりますが、担当が決まってから特別なトレーニングなどはされましたか? 熊倉:特に決まってからはありませんが、7、8年前から趣味も兼ねた登山やトレランなどで体を維持しています。隊員の中では年齢的には上の方になりますが、体力面での不安はそれほどありません。南極の過酷さとは別かもしれませんが、普段の仕事も体力が必要ですし、床下での作業や炎天下の屋根作業等も過酷といえば過酷なので耐性はあるかと思います。 ――ご家族の反応はいかがですか? 文明社会を離れて寂しいといったことはないのでしょうか? 熊倉:4人家族で、妻と、大学生の長男と高校生の長女がいます。隊員になったことを告げたら「良かったね」と普段と変わらなかったですね(笑)。南極公募3回目の挑戦だったからかもしれません。普段から早寝早起きでほぼ朝5時ぐらいには起きています。休みの日も同じルーティーンですので、寂しいとか退屈といった感情はそれほどありません。 ――答えられる範囲で結構ですが、今回の任務について特別な手当や福利厚生などはあるのでしょうか。 熊倉:いわゆる海外出張手当みたいなものはあります。海外保険はありますが、加入義務があるわけではありません。
熊倉聡泰

国内で登山をしたときの熊倉さん(本人提供写真)

熊倉聡泰

本人提供写真

熊倉聡泰

本人提供写真

熊倉聡泰

本人提供写真

次のページ
吠える40度、氷山…初めて味わう大自然に直面
1
2
おすすめ記事
ハッシュタグ