その一方で、スミス自身のアイデンティティやメッセージは受け止めつつ、作品や表現としての質を厳しく問う意見も。イギリスの週刊誌『The Spectator』電子版(2023年1月30日)に掲載された「恥ずかしいほどお粗末な今日の性的マイノリティーのカルチャー」という挑発的なタイトルのコラムです。
著者のギャレス・ロバーツ氏は自身が青春時代に聴いたSoft Cell(ボーカルのマーク・アーモンドとシンセサイザーのデイヴ・ボールによるイギリスの2人組テクノポップユニット)を引き合いに出して論じています。
<ソフト・セルのアルバムもたしかに物議を醸した。しかしそこには大きな違いがある。彼らの作品は知的で独創的だった。音楽的なおどろき、ウィット、そして彼らならではの考えに満ち溢れたものだったのだ。ソフト・セルはありとあらゆるタイプのヨゴレたちを曲にした。>
売春や虐待が当たり前の日常や、セレブのゴシップに夢中な大衆。退廃的な不道徳にひかれる都市生活の虚無感を歌ってきたソフト・セルも悪趣味でした。しかしながら、その表現技法や描いた世界の奥行きがまるで異なるのだとロバーツ氏は言います。
<ソフト・セルの描いた世界がゴシック聖堂だとすれば、サム・スミスは園芸店程度のものだ。>(筆者訳)
ソフト・セルの婉曲的で多面的な表現とは異なり、「I’m Not Here to Make Friends」は<見世物小屋でウケそうな陳腐な紋切り型>だと斬り捨てています。