更新日:2023年02月24日 10:51
エンタメ

蔓延する「LGBTQ+の作品を批判してはいけない」という風潮――サム・スミスのMVをめぐる議論から考える

一方で作品や表現としての質を厳しく問う意見も

 その一方で、スミス自身のアイデンティティやメッセージは受け止めつつ、作品や表現としての質を厳しく問う意見も。イギリスの週刊誌『The Spectator』電子版(2023年1月30日)に掲載された「恥ずかしいほどお粗末な今日の性的マイノリティーのカルチャー」という挑発的なタイトルのコラムです。  著者のギャレス・ロバーツ氏は自身が青春時代に聴いたSoft Cell(ボーカルのマーク・アーモンドとシンセサイザーのデイヴ・ボールによるイギリスの2人組テクノポップユニット)を引き合いに出して論じています。 <ソフト・セルのアルバムもたしかに物議を醸した。しかしそこには大きな違いがある。彼らの作品は知的で独創的だった。音楽的なおどろき、ウィット、そして彼らならではの考えに満ち溢れたものだったのだ。ソフト・セルはありとあらゆるタイプのヨゴレたちを曲にした。>  売春や虐待が当たり前の日常や、セレブのゴシップに夢中な大衆。退廃的な不道徳にひかれる都市生活の虚無感を歌ってきたソフト・セルも悪趣味でした。しかしながら、その表現技法や描いた世界の奥行きがまるで異なるのだとロバーツ氏は言います。 <ソフト・セルの描いた世界がゴシック聖堂だとすれば、サム・スミスは園芸店程度のものだ。>(筆者訳)  ソフト・セルの婉曲的で多面的な表現とは異なり、「I’m Not Here to Make Friends」は<見世物小屋でウケそうな陳腐な紋切り型>だと斬り捨てています。

“正しさ”による同調圧力

 そのうえでロバーツ氏はわかりやすいプレゼンテーションがウケる背景に、“正しさ”による同調圧力の存在を見るのです。 <時代から取り残されていると見られたくないがために、ファンキーで新しいと思えばいまや人々はなんでもかんでも称賛してしまうのだ。>  その賛同とやらは差別にフタをしているだけなのではないかと懸念を示しているのですね。  ソフト・セルのマーク・アーモンドも自身がゲイだと公言しています。しかしながら、2017年のインタビューで昨今のLGBTQムーブメントがかえってマイノリティーの分断を招いたとも指摘しており、この点でもサム・スミスとは異なる視点の持ち主だとわかるのではないでしょうか。ソフト・セルは楽曲を通じて世間の同意を求めていないからです。
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メッセージの正当性は曲の質を裏付けるものではない
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音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4

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