コミュ力の高い人が、実は使っている「対人想像力」の正体/齋藤孝
「もっと相手の気持ちを考えてあげていたら……」「もっと場の空気を読めていれば……」他者を理解しようとする時、人は必ず想像力を使っている。人間関係を円滑にするための「対人想像力」とは何か? 明治大学文学部教授の齋藤孝先生が解説する。
(本記事は齋藤孝著『もっと想像力を使いなさい』より、抜粋したものです)
現代は、ハラスメント(harassment=迷惑をかける、嫌がらせをすること)や、コンプライアンス(compliance=法令遵守)という問題が常にあります。昭和の時代でしたら傍若無人に振る舞っても許されたようなことでも、今の時代には、「これを言ったらこの人が こう傷つくだろう、だからやめておこう」という配慮が求められる時代です。例えば、一昔前まではスポーツの監督やコーチが勝利のために選手たちを叱咤激励し、時には「愛のムチ」で活を入れながら猛練習をさせるのは当たり前でした。勝つためには鉄拳制裁でさえ正当化されていました。勝てば監督やコーチは名将とされ、猛練習やシゴキも美談とされました。
しかし、今は体罰などはもってのほか、叱咤激励も言い方に十分気をつけなければ、選手や保護者からクレームがつけられかねません。
また、ある市では、市長がその政策については市民から一定の評価を得ながらも、部下への暴言が暴露されてネット記事やSNSなどであっと言う間に拡散して炎上し、辞任に追い込まれたことがありました。
こうしたパワハラ(パワーハラスメント=自らの権力や立場を利用した嫌がらせ)や、セクハラ(セクシャルハラスメント=性的嫌がらせ)に関する問題は、昔では当たり前のこととされ、誰も問題にせず、被害者は泣き寝入りするしかありませんでした。
ですが、社会は進化しています。1980年代にセクハラ、2000年代にパワハラという概念が提唱されて、問題視されるようになったのです。
今では、モラハラ(モラルハラスメント)やマタハラ(マタニティーハラスメント)など、「◯◯ハラスメント」という言葉はさらに増えました。たとえ自分では良かれと思ってやった言動でも、相手に不快感を抱かせればハラスメントになってしまう、そういう時代に私たちは生きています。
もう昔とは違います。企業もハラスメントへの適正な対応が求められています。社会規範に反することなく、公正・公平に業務を進めていかなければなりません。だから私たちは、事前に周りの状況や相手に対して十分に配慮して、「このようなことを言ったら、このようなことをしたら、相手に嫌な思いをさせるかもしれない」といった気遣いを、これまで以上にしなくてはならないのです。
その一方で、別の「小さな声」も聞こえてきます。それは、「どんな指示を出すのもパワハラのように思えてくる」という上司の嘆きです。会社では上司として、部下に仕事の指示をしなければいけません。時には注意、叱責することもあります。ですが、「パワハラだ」と言われることを恐れて、何も言えなくなってしまうというのです。
今時の上司は大変です。昔でしたら、「おまえら、これやっとけ」と指示して済んでいたことでも、今はそのような昔風のリーダーシップは、「パワハラ」と言われる可能性があるわけです。そして、そのような上司を野放しにしている企業は「ブラック企業」と呼ばれて、社会からの糾弾を受けてしまいます。
社員が「嫌だ、嫌だ」とその仕事を完全に嫌がってノイローゼ気味なのにもかかわらず、「仕事を何だと思っているんだ」「医者に行くのは、おまえに怠け心があるからだ」とか、「それは、うつ病なんかじゃなくて、やる気の問題だろ」「とりあえず会社に来て働くんだよ」などということを言う上司は、以前はたくさんいました。こういう上司に追い込まれて、 精神を病んだり、過労のために自殺してしまうケースもありました。
これからの時代は、そのような上司はどこの業界でも一斉に絶滅危惧種になっていくでしょう。もう生き残ることはできません。
なぜなら、会社にとっては、そういう人こそが最大のリスクになるからです。社員が自殺をしてしまったら、社会的に徹底的に叩かれます。飲食店などで、「あのお店はブラック企業だ」という噂を立てられたら、SNSで情報が拡散されて批判が殺到するでしょう。
昔でしたら、こうした問題を社内で隠蔽することもできたでしょう。けれども、現代ではもうできません。SNS全盛の時代ですし、しかも、スマートフォンを使って録画・録音などが容易にできます。肉声が録音されていたりしたら、一発退場ものです。SNS上で動かぬ証拠として、音声と共に見ず知らずの人たちにどんどん拡散されていくからです。
他者への配慮が求められる時代
昔風のリーダーシップは「パワハラ」認定
『もっと想像力を使いなさい』 人間関係も、仕事もうまくいく |
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